はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

小説「ふかがわばすたーず」(ニートスズキ作)を読む(第1回)

一.はじめに
1 自我と才能
 ニートスズキはいま、彼のニート史における最大の逆境に立たされている。
 少なくとも彼がニトニト動画を公開して以降、我われ視聴者が目にした事のない愕然とした表情を彼は浮かべている。ニトニト動画の視聴者であれば、この事態がただならぬものであることは自ずと直感できたであろう。
「希望と憂鬱に満ちた微笑みをたたえながら孤立を恐れずただ一人屹立する孤高の士、ニートスズキ
それが我われ視聴者の彼に対する評価であっただろう。彼の賛同者は社会の逆風に対する彼の打たれ強さに感心し、彼の敵でさえもその肝の坐り具合に敬意を示さずには居られなかった。それほどまでに、彼の自我は強固たるものであった。その彼が、いまこのようにしてうなだれた顔を見せているのである。
 彼の自我を支えたものは、恐らくは彼の才能であった。
 彼が言葉の名手であることはニトニト動画を見れば明らかである。それは彼が話し上手であることを意味するのではない。むしろ彼の話は脱線に走る傾向がある。しかし彼は言葉のまとめ方を知っている。どんな寄り道をしても最後には自分の言いたいことを的確な警句として表現することに長けているのである。
 それはおそらく彼がかつては漫画家を志望していたことによるものだろう。決めるべき場所で決めるべきセリフを的確に配置するその能力は、漫画家としての資質の現れである。
 だが彼は「漫画を描くのが面倒臭くなった」と言って小説の執筆に取り掛かった。メディアワークスライトノベルの新人賞を行なっており、それに自らの作品を投稿しようというのである。受賞して作家になろうという彼の気合いが十二分に感じられた。仮に賞を逃しても次につながる評価が得られるという期待を膨らませていたのだろう。
 彼は自らの書いた処女作品を「ふかがわばすたーず」と名づけ、街の平和を守る美少女集団の日常を文章として綴った。そして彼は投稿しようとする作品の一部を朗読という形で公表し、その模様を我われはニトニト動画の一つとして目撃した。
 彼は自らのブログ上で今月の末に発表される受賞者の発表を楽しみにしていると語っていた。おそらくは自らの作品に手ごたえを感じていたのであろう。彼は作品の朗読中に自らが書いた場面に時折り爆笑していた。その笑いさえ審査員に通じればいい評価がもらえたはずだから。
 しかし彼は、落選した。
 先日発表された受賞者の中に彼の名前は入っていなかった。
 それだけではなかった。後日彼の家に封書で送られてきた「ふかがわばすたーず」に対する評価を書いたシートには、主催者の要請でその内容を伝えることができないとしながらも、五段階ある評価の中で最低(表情から推定)のものが記されていた。彼は開封の一部始終をカメラで撮影しニトニト動画として公開したが、そこには今までに見たことのない彼の沈んだ顔がしっかりと映し出されていた。
 恐らくは彼の自我の源にあるであろう彼の才能への自負がやや不信に傾いた瞬間であっただろう。就職を選ばず、「働いたら負け」という挑発的な発言を行なってきた彼の心理上の根拠がぐらついた瞬間であった。彼は自らの才能の有無をたしかめるように開封したての封筒から手を放し、借りたばかりのCDに手を伸ばしながら半笑いを浮かべて語り続けていた。
(敬称略)
(参考)「お先マックら動画」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2131471