はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

変な初夢だった(平成31年1月1日)

 秋の寒い日の夕刻。パンクした自転車を引きながら、私は寺に向かった。庭は砂利が敷き詰められており、右手には自転車が整然と塀に沿って並べられていた。お堂は左手にある。塀の奥には小さな作業部屋があり、白手袋をはめた男が作務衣姿で現れた。私は彼と言葉を交わした後、自転車を預けた。夢の中の私は寺で自転車の修理が行われていることをありふれたことのように思っているらしかった。
 修理の間、私はお堂の中で待たせてもらうことにした。夕刻を過ぎ、水銀灯が伽藍を照らしていた。お堂の中は薄暗かった。周りはとても静かだったが、奥の部屋はそうではないようだった。子供達の声が賑やかに聞こえてきた。老僧の声も聞こえてきた。何か教室のようなものを開いているようだった。声は煩わしいものではなく、単に彼等の存在を示すだけの断片的なものだった。再び静寂の世界がはじまった。私は阿弥陀如来像を眺めて時を過ごしていた。畳が線香の香りを放っていた。
 しばらくして、お堂の外に出ようと思った。石段を降り、自分の靴を探した。靴脱ぎ場には大きな踏み板があり、その周りを埋め尽くすように靴が散らかっていた。靴は奥の子供達の数に比べ、明らかに多かった。どこに置いたか思い出せないので、仕方なしに探した。安いビジネスシューズであり、誰かが自分のものと勘違いしたかも知れない。だがそれは考えたくなかった。
 見つからないという現実に納得し兼ねたので、何度も見直した。やはり靴はなかった。はじめは踏み板から覗いていたが、奥まで見ようと、他人の靴を踏んで探しもした。それでも見つけられなかった。最後は砂利の上に立っていた。何故か女性ものの靴に私の履いている靴のブランドが書かれてあった。私は早く帰りたかったので、これでも構わないと一瞬思ったが、サイズが合うはずもなく、投げ捨ててしまった。
 気づけばお堂の周りには子供達と親御さんの姿があった。さっきの子供達だろうか。スーツ姿の私が女性ものの靴を放り投げている。変な絵面ではあろうが、誰も私を気に留めている様子ではなかった。不思議なことだが、あの靴の中に子供用の靴は少なかったように思う。
 私は靴下のまま砂利の庭を歩いていた。お堂には複数の入り口があり、他の靴脱ぎ場に私のものが転がっているかも知れないと思ったのである。靴脱ぎ場は今探した場所以外に、私の目に入っただけで二箇所あった。どちらも板の周りに靴が溢れていた。それを残さず確認したが、自分のものは見つけられなかった。部屋の中は先に居た場所とは異なり、明かりが眩しいほどだった。それに大勢の人が居るような気配を感じた。私は拒絶にも似た気持ちで去った。
 元の場所に戻ろうと思った。下駄箱を確認していなかったことに思い至ったが、それよりも休みたくなった。靴がなかった時のことを考えていた。歩いて帰ろうかと思った。冬はまだ訪れていなかったが、足の指はすでに悴んでいた。ここでかすかな記憶が頭に浮かんだ。私は自転車を預けてから、靴を手に持ったままお堂の中に入ったのではないか。それは夢に近いものだった。
 お堂の周りの人影は消えていた。靴脱ぎ場の靴はすっかりなくなっていた。私は石の階段を上がり、中に入っていった。ここで目が覚めた。