はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

この15年間について(かつての読者へ)

私のニートとしての活動(あえてそう言うなら)は、2009年にピークを迎え、後は下降した。ニートスズキの追っかけからはじまり、ここで幼女妄想を書き連ねるようになった。その後、詩の創作をはじめるが、幼女から連想するイメージは既に枯渇していた。しかし私の幼女幻想は緩やかに続き、職を得た後も、また実女性への想いを抱いた後でさえそうであった。職場ではベテランの域に入り、業務の幅の狭さに嫌気が指すようになった。皮肉な話だが、今になって仕事のやりがいを求めるようになったのだ。現状への不満が私をかつての幼女幻想に引き込んだのは間違いない。しかし、久々の幼女は私にはしっくりと来なかった。幼女は昔のように、私の存在をそのまま受け入れる存在ではなくなっていた。あるいは、私という存在をそのまま他者に受け入れさせるほどの自意識を、私は既に持ち合わせなくなったのかも知れない。いずれにせよ、幼女は私の熱意の対象ではなくなっていたのである。かつての花園に安息を求めたが、とうに枯れ果てていた。私自身、変わってしまったのだろう。私はこれを残念なことだと思っている。幼女でオナニーが出来るのは、ある点で特殊技能である。今でも不可能ではないが、殊更にそれをする気持ちは失せている。代わりに、これまで避けてきた実女性へのそれに変わってしまった。幼女と共にいたことで味わっていた優越感、見者としての特権意識は、ここに潰えたのである。普通というものに同化されることへの拒絶感とは別に、既に私は普通の男に成り下がったのだ。現状を変えろという、堅実で、月並み、かつ絶望的な現実を突き付けられながら、私は毒男としてここにあり、現状を微かに変えるために足掻き、そして生きているのである。