はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

メモ:私のオナニー日誌(2008年11月下旬)

以下に“おかず”を書き留める。

21日(金):

「人妻パラダイス」より「ハルミさん 28歳」の動画サンプル。フェラチオシーンだったが、あまりフェラに興味は無い。しゃぶられたことがないので想像のしようがない。ただ、おっぱいを上から撮影しているところがよかった。セックスを経験した人なら肩口から胸先まで続く曲線の滑らかさと柔らかさを知っているだろう。その感じがよく出ていたビデオだった。(もちろん「よく出ていた」と言っても経験したことのない光景だから「よく想像させられた」と言うほうが正確ではある。だが、特に意識しなければ「よく出ている」と言って十分だと思う。今日は性欲が穏やかなのだろう。性欲は日々高まったり、弱まったりする。性欲が高まりすぎると自分の惨めさを思う。だからどこかでブレーキが掛かっている。)なお本日は朝の9時に起床、深夜4時に就寝した。

22日(土):

AVサンプル「義父に犯されて… 美嫁いぢり 白石沙里奈」。もう何回も抜いている定番もの。さすがにDVDが欲しくなった。ただ、最近は買い物を我慢している。欲しい本は昔のものであれば「青空文庫」に収録されているテキストで済ましている。「青空文庫」の活動には頭が下がる思いだ。おかげさまで夢野久作の短編は大方読むことができる。ただ、長編小説はビューワーを使っていても読むのに疲れる。これはディスプレイの宿命なのだが、青空文庫の時代に紙媒体の旧作品が無くなる気配がないのはやはり紙のほうが読みやすいからなのだろう。目が疲れないし、積み上げさえしなければ紙のほうが操作性は高い。もちろんアクセスの効率性は明らかにネットのほうが上なのだが、じっくり楽しみたければ文庫本を買う他はない。ただ、一度でも何かを買うとそこでたがが外れてしまう。合格するまでは倹約生活を続けようと決意しているだけに、これだけは守り続けたい。

23日(日):

AVサンプル「明歩先生の誘惑授業 吉沢明歩」。女教師ものの定番はやはり教室で教師と生徒が絡み合うことだと思うが、先生が自分の部屋に生徒を入れる場面もなかなかいいものだと思わされた。こういうシチュは若い女教師がやると燃えるのだろう。部屋に男を招き入れるのはまるでカップルのようである。そういうデート感覚が生徒(この場合は私)の期待を高めさせてくれる。ところで、今日の「アタック25」に出ていた50代の主婦はなかなか綺麗だった。はっきり言えば女っぷりがよかった。50代でも男がセックスをしたくなる女性というのは色気が現役感を保ち続けている人なのだろう。肌はとっくに荒れているが、上気したときの艶を想像させてくれればそれで十分にカバーできる。私がかつてバイトしていた工場にも彼女に似た主婦がいた。早くに結婚されたので娘さんは私よりも年上だったが、内心ではこの人とセックスがしたいと思っていた。同じ現場に小倉優子似の少女が居たが、17歳の彼女には何の興味も示さずに49歳の主婦に女を感じていた。ちょうど5年前のことだ。小倉優子のほうは作業着を着ると「かわいい弟」と形容したくなるような格好だったので、女を感じなかったのかも知れない。

24日(月):

AVサンプル「壁越しのあやつり妻 恥ずかしい私を見ないで 水元ゆうな」。旦那さんが寝ている脇で声を押し殺しながら悶えている場面がいい。ところで、カンニングの竹山さんがロフトでオナニーホールを賞賛していたらしい。自動車整備士の青年がピストンシリンダーからヒントを得たそうだが、従来のオナニーホールでは得られない快感があるという。名前は「典雅」(TENGA)。ソフトオンデマンドの流通に乗っているそうだから信長書店でも扱っているだろう。ネットでいきなり買う前に実物を拝んでくるか。でも、一本680円は正直高いと思う。「これがあったらもう女とセックスする必要はありません」と力説していたそうだが、でもねえ、高い。開発者の青年がソフトオンデマンドに売り込みに行ったときに、高橋がなりさんから「君は本当にオナニーが好きなんだねえ」と褒められた一品。まあ、売り文句だけでは680円は出せませんな。でも「680円が68万に感じるほど気持ちいいです」と竹山さんが言っていたそうだし、イベントを取り上げたラジオ番組でも「私のはめたどの女よりも気持ちいいです」と書いたリスナーがいたし、気持ちは揺らぐ。オタクグッズと同じで、高い買い物はどうしても買うか買わないかを迷ってしまう。なにぶん仕事をしていないもんで、収入がない。(ネットで本の転売をすることがたまにある。)年金も親に出世払い(借金)をしてもらっている。そんなときにオナニーホールなんか買えるか。ひとまずやめとこ。ここまで書いていて実はオナニーホールを使ったことがない俺でした。

25日(火):

オナニーせず。眠気が勝った。ところで、「そんなに恋人が欲しいんなら、喪男と喪女が結びつけばいい。」という話は愚説だと思う。人間が喪とモテに分断されていることが問題なのに、それを分かっていない。実質は「敗残者どうし仲良くやってろ。」と言っているだけだ。それに、喪の人間はむしろモテを求めたがる。それもずば抜けた美人やイケメンを欲する。そういう心性があるようだ。一年ほど前に、「友達は不細工なのにイケメンの彼氏にこだわっている。」という書き込みを2ちゃんねるで見かけた。笑いの対象になっていたが、彼女の気持ちが痛いほどに分かる。自分に欠けたものをどこかで補おうとする。それが容姿であれば、相手の容姿で補えばいい。恋愛資本主義は容姿の等価交換である。彼氏がイケメンなら、どこかでほっとできる。私も恋愛資本主義から自由ではない。人間が喪とモテに分断されているなかで、いつかは美人の彼女が欲しいという思いがある。喪男や喪女が美人やイケメンを欲しがる心性は、恐らくは復讐の観念を含んでいる。私を排除した異性、そして私を尻目にした同性に“手の届かない思い”を味わわせてやりたい。喪男ゆえに美人を求める。それは単に彼女が欲しいという思いでは済まない。

26日(水):

AV「エロ頭イイ・星野梨緒」。ところで、ひと昔前に話題となった4歳児DVD(「なつみ4歳 Vol_01幼稚園シリーズ」)を私も購入しようかと迷っていた。かつて「幼女オナニスト」を自称した手前、有名な作品で抜いておきたかったからだ。しかし高い。2,500円とある。単品で1,000円を超える商品は浪人にとって痛い買い物だ。果たして本当に必要なのか。オナニーの最年少記録を更新するためには実に便利なものだ。はっきり4歳と銘打たれており、幼女オナニーの最前線に進んだという昂揚感は得られそうだ。しかしパッケージが頂けない。肝心の女の子の表情がどことなく憂鬱気味だった。いやいやフラフープを持たされているような感じだ。最近は幼稚園を横目で眺めるようになったが(変態さんですかそうですか。)、あのはしゃぎ具合がなければ幼女は萌えない。嫌々感が見えてしまうと子供が気の毒に思えてくるが、見ているこちらが拒まれているような感じもして嫌なのだ。幼女は私を受け入れてくれそうな幻想を与えてくれるから萌える。嫌そうな顔なら大人社会で十分に見せられている。まあ、さすがに4歳児でDVDを撮ろうとした時点で無理があったのかも知れない。幼女がふだん見せている笑顔は日常のなかで発掘するしかなさそうだ。というわけで私は買うのをやめた。ただ、ローアングルから幼女の足を写しているというくだりに股間がうずかないでもなかった。それでも買わないだろうが。高いし。

27日(木):

AV「エロ頭イイ・星野梨緒」。一旦は苦手意識を克服できたかに思えた女子大生だったが、半ば無意識のうちにオナニーから遠ざけていた。今日も心の中にあるコンプレックスを追い払うようにやや意を決して抜いた。二日連続の念押しである。たとえアダルトビデオでも性欲を向ける相手が自分より“格上”であればなかなか抜きにくい。一方で、性的な魅力に自信があれば相手の“格”をわざわざ考えることはないのかも知れない。自分の武器が社会的地位に限られる場合にはじめて相手の格を確かめる心性がで出るようにも思える。(私の場合は社会的地位も低いのだが。)男性が恋愛やセックスの相手を求めるときは女性の格を推し量っているというが(女性も実際のところは変わらないだろうが)、それだけ喪の感性を持つ男が居るということなのだろう。肉体に自信のない男、コンプレックスを持つ男。そういう男を責める言説というものは結局は喪男を間接的に貶めているのではないだろか。人の社会的地位が肉体の序列に比べてどれほどのものか、そこまでは分からない。だが、男性と女性の関係は地位の一般的な上下だけでは語りえない。肉体の優劣がもたらす人間の序列化はこれまでタブー(個人の“恥”として内面化)とされてきたが、喪の観点を持つ者が日々実感してきた社会的なファクターである。これを可視化することが喪男の急務であると私は感じている。(喪男全般を“弱者男性”と規定することは難しいかもしれない。だが、地位のある者でさえ無力になりうることは考慮されるべきであろう。)

28日(金):

新聞に載っていた小学3年生の少女(10月18日付夕刊)。喪男ロリコンになりやすいのは、少女が自分たちを排除しないと幻想しているからだ。彼女たちが大人になる前の“純真さ”に救いを求めているのだ。あと数年もすれば彼女たちも少女となり、女となる。人間は性的な衝動によって必ず人を排除する。“生理的に受け付けない”と烙印された人間はセックスの機会を失わされる。喪男はセックスを許されない人間である。社会的に断種された人間である。自分たちを排除した女たちを恨みながらも、内なる性の皮肉な衝動に笑うニヒリストである。性欲は人を排除する。私も心の中で喪女を排除している。(全く同じ道理で喪女は喪男を排除する。もっとも、排除は求められた時に行われる。だから厳密には喪男と喪女は誰をも排除しえない。うまく斥けることがモテの苦労だろうが。)自らの罪な心性を抱えながらもなお斥けられないことを願う。性欲を知らない女の子に喪男が惚れるのはそのためである。

29日(土):

AVサンプル「明歩先生の誘惑授業 吉沢明歩」。若い女教師の部屋に招かれるシチュにややはまりつつある。ところで、2ちゃんねるをやっていると喪男と喪女がかすかな友情を交わす場面に出くわすことがしばしある。「私、リアルではデブスだから。」という喪女に喪男がエールを送っている。彼氏ができないという悩みがどれだけ苦しいものか、それを喪男は十二分に分かり得る。(“彼氏”に“喪男”が含まれていないことは言うだけやぼだ。)どちらも実際に会えばお互いに遠ざかりたくなるような外見である。近づきたくない相手であっても遠ざけられれば腹は立つ。匿名掲示板の良さはお互いの外見を知らずに済むことだ。だからこそ喪の苦しみがストレートに異性の喪者に通じるのだろう。「リアルではデブス」な人間に「おまい、かわいいよ。」と返せる間柄は、互いの姿を知らないからこそ成り立つ。それが本当の友情かどうかはどうでもいい。一瞬ではあれ、自分と同じ気持ちを通い合わせたときの清々しさはあった。

30日(日):

ギャオ配信の映画「待つ女」(2006年・フランス)。【ネタバレ注意】真面目に作っている作品でオナニーをするのは気の引ける思いもするが、抜けてしまうのだから仕方がない。主人公の女が胸をさらけ出してオナニーをしているシーンで抜いた。私は彼女の浮気相手の気持ちで観ていた。服役中の夫の代役でセックスをしている男である。話が進んでいくうちに彼が夫の差し金であることが分かってくるが、彼自身が主人公に思いを寄せるようになり、体だけを求める彼女に時には憤りを見せ、気を引くために甘えてもみたりする。だがセックスの最中に彼女は決して彼の顔を見ようとはせず、夫の名前をうわ言のようにつぶやいていた。もちろんキスはさせてもらえない。喪男から言わせればセックスができるだけ増しだろうと言いたくもなるが、ある意味で喪の気持ちを味わわされた男だったように思う。途中で観るのをやめたが、鷲づかみにされた男の胸板が全てを物語っていたように思う。「俺の顔を見ろ」という男の言葉が通り過ぎていくような感じを覚えた。

付記:

ほとんど喪男談義になってしまった。本来の目的は「二十代インポテンツ」(20代の女性では股間が立ちにくい。おそらくは心理的な要因だろうが。)を克服することなのだが、気が滅入ることばかりを考えているとかえってインポテンツの世界にはまってゆくような気がしないでもない。このところ「美人の彼女が欲しい」という願望が強まっている。「身の程を知れ」と言われればそれまでだが、おそらくは童貞でいることを意味付けたいのだろう。私が童貞でいるのは、そこらへんの女に目もくれずひたすら美人を捜し求めているからなのだと言えば、それはそれでひとつの動機が立っているようにも見えるし、童貞でいることに自分を傷つけることも少しはなくなる。それはそうと、12月分は簡潔な記録のみを付ける。目的はあくまでも「二十代インポテンツ」の克服である。(12月7日)

関連(拙稿):

ぷにゅむにゅで抜いた、の報告(2010年6月)
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20100702/1278059777