はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

新聞投稿に挑戦してみた。

その1「男を傷つける女性専用車両」(題名は選者)

神戸新聞2008年2月22日付)
 朝、いつものように神戸電鉄の四両編成の列車に乗り込み、次々と入ってくる人の波に押されていた。満員となった車両の端で身動きの取れないままの私の目に、女性専用車両を示す赤いシールが見えた。
 窓という窓に同じシールを張り付けた隣の車両は、男性の立ち入りを頑として許さない威圧感があった。本来は痴漢対策として設けられたはずの車両は、男性そのものをも追い出しているように感じられた。
 男性という存在が犯罪者と同一視されている空気に、居心地の悪さを覚えずには居られなかった。私にとって女性専用車両は、飛躍した論理により、男という存在を傷つける場所にほかならなかった。
 車輪の擦れる音を聞きながら、男であるがゆえのぬれぎぬを着せられた気持ちの悪さを覚えていた。

その2「沈黙の中で息づく民の声」(題名は選者)

神戸新聞2008年5月2日付)
 チベット人による反政府デモは、中国軍の圧倒的な物量の前に瞬く間に鎮圧され、一夜明けた街の様子は、ただ、煙だけがくすぶり続けるラサの沈黙を映し出すのみであった。
 チベット人が第一に求めたのは、宗教の自由であった。ダライ・ラマへの祈りを回復するための、精神の自由だった。だが、鎮圧後のチベットでは、人々はこれまでにも増して沈黙を強要されている。
 沈黙の街の声なき声を想像することは、言葉でいうほどに容易なことではないのかもしれない。祈りを日々の営みとするはずの日本の仏教者でさえ、彼らへの反応は鈍く、無関心を示している。
 だがその沈黙は、覆されようとしている。先日の書写山円教寺の声明や善光寺の決断は、祈りの大切さを知る者の仏心が胸に迫るようであった。
 祈りを禁じられた民の声は、強いられた沈黙の中で確かに息づいている。この声とともに唱和した僧侶の勇気が、仏教界全体でさらに広がることを祈りたい。

その3「聖火リレーと人権活動家」

朝日新聞「声」落選。4月27日投稿)
 天安門事件の暗黒の時代に青年期を過ごした中国人の男性が、長野の路上で聖火を臨みながら祖国の民主化を訴える。先日の「報道特集」は、民主活動家として生きる人間の苦悩を描いていた。
 中国人が日本で民主化を訴えていることは、あまり報じられていない。それもあってか、中国語のプラカードを掲げる男性に対し、一部の日本人が非難を浴びせかけていた。
 一方で男性は、祖国からの留学生に民主主義を説いていたが、「独裁国家にオリンピックを開く資格はない」という主張を受け入れる同胞は現われず、彼は路上で孤立した。
 歴史の進歩が本当であれば、独裁体制は民主主義に脱皮するはずであり、民主化を訴える声は広がってゆくはずである。しかし、祖国から来た若者は、進んで独裁体制を受け入れているようにさえ見える。祖国の人間に理解されない辛さが、男性の顔ににじみ出ていた。
 オリンピックへの抗議を「民族と民族の対立ではなく、自由と独裁の戦い」と呼んでいた彼の言葉が、強く印象に残った。

その4「痴漢を憎むがゆえに憎む」

朝日新聞「声」落選。3月8日投稿)
 社会集団に対するネガティブ・イメージの固定化が差別であると、私は人権教育によって学んだ。人間は個人として見なければならず、その属する集団のイメージによって判断してはならないと、何度も聞いてきた。だが、女性専用車両については、これまでに学んできたことと大きな矛盾があるにも関わらず、すでに導入から五年以上が経過している。
 痴漢事件についての対策があることは当然である。可能な限りの対応が、もちろん他者との妥当性に照らしながら、行なわれるべきである。だが、女性専用車両は、妥当性があるどころか、男性という他者に対する差別性さえ見出しうる。
 男性の中に痴漢を行なう者が居る。だが男性がすなわち痴漢なのではない。このことがあまりにも曖昧にされ過ぎた結果、痴漢をしない男性までもが、あたかも犯罪者の予備軍として扱われてしまう。女性専用車両は、痴漢をしない一般の男性さえも、その立ち入りを許してはいない。
 私は一人の男性として、自らのアイデンティティーが、犯罪者の予備軍として扱われることに、違和感を訴えざるを得ない。女性専用車両の存在を、痴漢を憎むがゆえに憎まざるを得ない。男性は決して、痴漢などではない。
(文面にやや感情が乗りすぎている。投稿向きではなかった。朝日新聞を選んだのは、字数が500字まで許されており書きやすかったから。)

その5「肉体の衝動と言説」

神戸新聞「発言」落選。5月28日投稿)
 「馬鹿が、少しは障害者の気持ちになってみろ。こんな姿に生まれたくて生まれたんじゃないということを、お前に分からせてやりたい。」ネットの掲示板でこの言葉を目撃してから二年、折に触れて思い出す。
 虚弱体質に生まれたからだろうか。完全とはほど遠い肉体を無理やりに受け入れさせようとする言説が、共生の名の下に、しかも美談として語られることに、強い違和感を覚えてきた。より完全な肉体を求めたいという内的な衝動を、これらの言葉は封殺するからだ。
 障害者による殺人が映画(「おそいひと」)になるという。「普通に生まれたかった?」という言葉ゆえに殺された女子大生。いまここに居る自分に「もし」はありえない。殺人者は肉体を求める衝動に火を付けられたのだろうと、映画を見もしないうちから考えたりもしている。
(前日の記事に映画の紹介があったので書いてみた。「こんな姿に生まれたくて生まれたんじゃないということを、お前に分からせてやりたい。」この言葉にどれだけ救われたか。私が今までに言いたかったことを一言で凝縮している。ただ、それゆえに、先に言われてしまったことに嫉妬さえ覚えたが。私の場合は体の障害ではない。ただ、文字通りに棒のような手を誰にも見られたくなかった。)

関連:

「新聞投稿に挑戦してみた。(第二回)」
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20091216/1261158275