はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ニートスズキの提訴問題についてのコメントへの返答。

コメども^^。以下はマジレス。
(長くなりすぎたのでこっちに載せることにしました。)

 今回の騒動は、単に>>1の責任を追及すればそれでいいという類のものではありません。たしかに法的には彼のみが責任を問われることになるのでしょう。しかし、誰かの責任を問い始めたら、他の人間の責任も問わなければ>>1にとって不公平になるのではないでしょうか。
 いざ訴訟騒ぎが発生した際、法的に責任を問われる者の行為のみがクローズアップされ、それ以外の者の彼に対する責任があいまいにされてしまいがちです。しかし、騒動に関わった者全員の責任を追及しなければ、結局は一方の当事者の越権行為が見過ごされてしまうのではないかと思っております。当事者全員(もちろん私も含めて)の責任を明らかにしなければ、結局は>>1が他人の責任をも背負うことになってしまうのではないかと危惧しております。訴訟に発展する以上、この問題は避けては通れません。スレ上で>>1と関わった者すべてが、>>1とどう関わったのかを振り返ってみなければなりません。裁判になるということは、そういうことだと思っております。裁判に直接関わらない人間でさえ、今後の訴訟によって自らの責任を問わなければならなくなるのではないでしょうか。
 >>1は二つの点で責任を問われています。一つはスズキに対する中傷で、現在法的措置が検討されているものです。もう一つはスレの雰囲気を壊した責任です。これは道義的なものです。そして、見逃してはならないのは、スレの一部の住人による>>1に対する責任です。前回の本文でもすでに書かせて頂きましたが、彼も相当に中傷を浴びました。もちろんこれは売り言葉に買い言葉とも言えるでしょう。>>1の煽りがなければ、彼に対する中傷はなかったという理屈です。
 しかし、>>1を非難することは当然であったとしても、彼の学歴などについて中傷したことに、行為を行なった者は責任を問われなくてもいいのでしょうか。彼に対する中傷は、ワーキングプアに対する中傷でさえありました。すでに>>1への批判という範囲を超えております。その言葉について、実際に訴訟が行なわれるのであれば、その責任を同時に問わなければならないと思うのです。>>1の行為は、自らへの中傷を加えられることでさらにエスカレートしました。その責任を、全て彼に着せていいのかと思うのです。
 もちろん2ちゃんねるでは、中傷合戦の当事者同士の責任を追求しあうことは極めて稀でしょう。そしてそれこそがスレのカオスを生み出している点で評価に値するものだと思っております。しかし今回は裁判が関わっております。スズキがいざ>>1の提訴に踏み切ったとき、彼は今回の騒動に関わった者の全ての責任を同時に問う道を選ぶことになるのです。
 あと、>>1への提訴とは直接の関係はありませんが、今回もしスズキが提訴した場合、彼のこれまでの発言を検証しなければならないことになるのではないかと思っております。彼は働かない人間でも工夫次第で楽しく、お金を稼ぎながら生きられるという実践を行なっております。それが境遇を同じくする者の共感を得ているのだと考えております。
 しかし、彼は同時に働かざるを得ない人間に対する侮蔑にも似た言葉をこれまでに発しております。彼にしてみれば要領の悪い人間なのでしょうが、しかし皆が彼のようにアイデアマンではありません。彼のこれまでの発言は評価すべき点と批判すべき点を露骨に混在しております。私もどの動画のどの発言だったかを即座に指し示すことはできませんが(それはあまりにも途方に暮れる作業ですので)、訴訟が始まった場合、彼のブログや動画での発言を個々に検証することも始まるのではないかと予想しております。
 スズキに対する>>1の反発の要因に彼のワーキングプアに対する否定的な評価が含まれていたことは、>>1の発言のうちに見出し得ます。スズキの発言が一人のニート(当時。後にワーキングプア)、この場合は>>1のことですが、その彼にどう影響を与えてきたか、それはスズキが行なってきた過去の発言を検証することなしには解明できない点ではないでしょうか。このことは、彼に対する評価と批判をより明らかなものにすることになると思います。スズキはアンチを生みやすい発言を過去に行なっております。それを中傷によって返そうとしたことが>>1の失敗でした。しかし、>>1の発言を封じた今回の騒動は、スズキに対する批判を、働かざるを得ない者に対する彼の評価をいかに覆すかについて、理屈の面からより明確化する機会になったものと感じております。
 ただ、それをやってしまうと、もはやニートスズキという存在はエンターテインメントの源ではなくなってしまいます。ただの考察の対象となってしまいます。彼の可能性と彼の毒を合わせて飲み干すことによって我々はスズキという存在を楽しんできました。それは彼が一個のカオスだったからです。カオスは明らかにしないがゆえに我々を楽しませてくれる発信者として存在し続けるものだと思っております。何でもかんでも解明すればいいという考えは、ものを楽しむ者の心掛けではありません。しかし、裁判がはじまる以上、彼のカオスに対しても理屈によってメスを入れなければならない場合が訪れるのではないのか。中傷はカオスの中に吸収され、カオスの一部分にさえなり得てしまう。しかし、批判はあるいは中傷よりも恐ろしいものかもしれない。スズキが持っていた世界が提訴によって解体されてしまうことを真剣に危惧している次第です。

長すぎた。ゴメソ。

(関連:前回の記事)
「>>1を追い詰めた者に>>1を非難する筋合いはない。」
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20080629