はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

“斎藤混じりのスズキ”からの卒業(ニースズ時事)

(なげえ。ほな田舎帰って来るわ。盆休みや。)
 ニートスズキ氏は10日、自らの本名がネット上で使用されている事態について、自身のブログで難色を示した。これまでは彼に好意的な人間も含めて本名の使用が公然と行なわれてきたが、今後は全面的に自粛するよう求めた。翌日のニートチャンネルではさらに強い表現を用いて使用への異議を唱え、今後は本名を用いる者を全てアンチ(すなわち敵)と見なすことを言明した。これにより彼のシンパは本名による好意的なニックネームさえ使えなくなったが、移り気な彼の性格からして次の日には撤回されるのか、もしくは強固な意志として封印され続けるのか、今後の動向が注目されている。
 彼の本名はかつてテレビ局により無断使用されている。ある番組に出演した折り、局側は使用の是非を確かめないで番組内で本名を流した。不本意な形で本名を知られた彼はニコニコ動画に進出した際、半ば開き直るように本名を公表した。本名が書かれた手紙の宛名を動画でそらんじたり、ブログの一行プロフィールを本名で語っていたこともあった。これにより番組を知らない者でさえ彼の本名を知るようになり、2ちゃんねるニコニコ動画、果てはブログのコメント欄にさえ本名が躍り出るようになった。
 彼の本名はたしかに不本意な形で世間に広まった。しかしニコニコ動画で彼は、ニートの特権を示すものとしてあえて本名を名乗った。本名を公表し始めた当時(昨年の7月から9月にかけて)、彼は涼宮ハルヒのコスプレに挑戦したりストリーム配信をはじめたりと、新しい分野に次々とチャレンジしていた。その延長線上に本名の公表があった。彼が人々の前であえて女装に挑戦したのはただハルヒへのあこがれのみではなく、それが正社員には出来ない行為だったからである。彼は正社員にはできないことをニートの特権として謳歌し、ニート生活の素晴らしさを人々に知らしめようとしていた。その一つが本名の公表であった。本名を知られることは本人の実生活に累が及ぶものとして忌避されてきたが、失うものがないニートはあえてそれを行なった。このことは後の生活保護男氏にも影響を与え、苗字のみではあるが本名の公表に踏み切る切っ掛けとなった。
 彼が芸能界にスカウトされてはや5か月が経った。その間、二つのメインイベントをこなし、大成功とまでは行かないものの、彼を目当てにして人を呼び込ませるだけの集客能力は少なくとも示すことができた。すでにニコニコ動画で獲得した知名度があったとはいえ、わずか5か月という短い期間に100名近い人数を集めたことは、芸能人としては幸先のよいスタートを切ったと言えるだろう。この5か月の間に彼の本名に対する考えに変化があり、それが今回のネット上での本名の封印へとつながったと私は考えている。
 第一回目のイベントでの成功をきっかけに彼の創作の重点は徐々に芸能活動へとシフトしていった。それは当然の成り行きではあるが、ニートの存在証明として暗に位置づけてきたライトノベルや漫画、果ては動画の創作意欲がこの5か月のうちに緩やかな減退を示し、それに反比例するようにイベントへの意欲が増していった。彼はもともと漫画家になるためにニート生活をはじめた。しかし漫画への創作意欲を失ってきたことはニートの存在証明を失うことを意味してはいない。彼はイベントに、芸能活動に新たな創作の意欲を見出していた。それゆえに2ちゃんねるのスレッド上における議論で有力だった説、すなわちスズキ氏の才能が減退したとの説は当たらないのである。彼の才能を知りたければイベントで確かめるしかない。彼はニートの魂を持って芸能界に飛び込んだのである。
 おそらくはイベントである種の快感を得たであろうスズキ氏にはプロ意識が芽生えているのではないだろうか。もはや芸能界に入る前の、一般人であった頃のスズキ氏ではなく、芸能人として、客を集めて話で楽しませることに創作意欲を掻き立てる人間になったのではないだろうか。ニトニト動画時代を知る者としてはやや寂しい気がするが、スズキ氏はすでにニートスズキを名乗る一般人としてではなく、人に話を聞かせる芸能人・ニートスズキになったのである。あえて本名を使えば、これまでの“斎藤混じりのスズキ”から、純粋な芸能人としてのニートスズキに脱皮したのである。そう考えれば今回の本名の封印は説明が付くだろう。本名はあくまでも一般人を示す標徴である。芸能人としてのプロ意識が高まるにつれ、一般人としての本名は手元に置きたくなったのではないか。
 スズキ氏は芸能界に入った後もしばらくはブログの一行紹介を本名で語っていた。それは惰性によるものでもあろうが、ニートの特権を示すものとしても機能していた。しかし本名がニートの特権であったのは、あくまでも彼が一般人であった頃である。今日のように芸能人となった彼にはかえって、彼に対する興味を分散させるものにしかならないのかも知れない。彼にとっては芸能人としてのニートスズキだけを見てもらえればいいのであって、一般人としての氏はむしろ過去のものに過ぎないのではないか。そこに本名を使われる状況があることは、彼にはおそらく違和感があったのだろう。彼の本名は彼の芸名と並立していた。しかも場合によれば本名のほうが多く語られることもあった。人に話を聞かせるのはあくまでもニートスズキである。芸能人としてのプロ意識が芽生えるとともに、ニートとしての特権、本名公表の前提であった彼の一般人としての性格は薄らいで行った。それゆえに彼は一行紹介からも本名を削ったのだと私は考えている。一般人でなくなった彼にとって、本名を公表することはもはやニートの特権ではなくなったのである。
 今後も本名の封印は続くのだろうが、先にも述べたとおり、彼は気分屋である。明日には本名の解禁が行われるかも知れない。だが彼を巡る状況が変われば、本名をめぐる状況も必然的に変わらざるを得ない。今回の騒動をニートスズキ氏のプロ意識の表明として、芸能人・ニートスズキの新たな出発点と見なすことは、考えすぎだろうか。

付記:今後のニートスズキの呼称について

 本ブログでは、芸能界に入る前の、一般人としてのニートスズキについては「ニートスズキさん」「ニートスズキ氏」「(呼び捨てで)敬称略」を以て呼び、芸能人となった後は芸名「ニートスズキ」の呼び捨て、もしくは本名を用いる場合に限り「斎藤さん」と呼んできた。今後彼に言及する場合は極力本名を避けるが、芸名についてはどう呼称するかは未定である(「ニースズ」で呼ぶことも一案であるが)。
 今回は「ニートスズキ氏」としてみたが、おそらくは「さん」付け、「氏」付け、呼び捨て、「(敬称略)」をそのときのノリと読みやすさを重視して使い分けることになると思う。
 なお、2ちゃんねるのスレッドへの書き込みについては「斎藤」を以て言及してきたが、おそらくは「スズキ」になるものと思う。本人が明確にその使用を拒否した以上、なかなか使う気にはなれない。もっとも、この一か月ほどはほとんど書き込んでいないが。

参照:
1.「昼サイブログ」の記事より:
「ちなみにコメント欄等で斎藤と呼ばれるのを」
http://d.hatena.ne.jp/rahoraho/20080810/1218362460
8月10日記述。ここで本名の封印を宣言している。
2.ニートスズキの動画から:
イ「ニートチャンネル2008/08/11」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4253419
8月11日投稿。24分あたりから本名の使われ方に言及。これからは本名を使う者をアンチと見なすと言明。
ロ「働いてるから個人情報晒せないなら仕事辞めればいい」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm985150
2007年9月4日投稿。イの動画とは正反対のことを言っている。ネット上で本名を明かすことはニートの特権だと思っている伏しがあった。
ハ「ネットに個人情報を晒しちゃイケナイって嘘じゃね?」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm949647
2007年08月30日投稿。趣旨はロと同じ。
3.2ちゃんねるのスレッドより:
「【叩かれ耐性】ニートスズキこと斉藤智成part14【本当の俺】」
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1217741195/
宣言の前日にはアンチとシンパによる激しいつばぜり合いがあったが、その中でも彼の本名は多用されていた。今後は書き込みはともかく、スレッドタイトルからは本名を削る動きになるだろう。

後記1(8月18日):

 本名の使用自粛要請はその後も波紋を広げ、スレッド上ではスズキの保身説が拡大する事態となった。そのためスズキは一行紹介への本名の掲載を再開し(13日)、騒動はひとまず終息する形となった。しかし、13日のブログにおいても彼は改めて本名の使用自粛を呼びかけており、あとは視聴者の意思に任されたのである。少なくともファンであれば使用の自粛を期待されているものと考えなければならない。
 なお、某番組に本名を無断使用されたことについては、同日のブログ上で「(当時は芸名がなかったし)別にそれは不本意ではない」と話している。
(参照)「昼サイブログ」8月13日付
http://d.hatena.ne.jp/rahoraho/20080813
ニートの魂をぶつけた後半の記事連は圧巻であった。個人的には傑作だと思っている。

後記2(8月18日):

 「狂人日記」の昇り龍さんからトラックバックを頂きました。ニートスズキは自分の芸を通してその芸名を広めるべきであって、本名の使用を自粛させるべきではない、という趣旨です。たしかにごもっとも。アンチをもうならせる芸(トーク)を見せれば本名を使用する空気は徐々に無くなってゆくでしょう。そういう意味で彼は芸能人として新米です。ただ、彼のファンは本名を使うことが芸能人としての彼の活躍に水を差すことになると悟らされたのだと思います。「さいちゃん」と言って励ましていたのがかえって重荷になっていたのなら、芸名を使って彼の活躍を後押しするのがファンなのだと思うのです。そのことを今回の騒動は示してくれました。
 私はワーキングプア観を異にしておりますので(かつての>>1君のレス、もちろん発狂前のものですが、その中にむしろ共感するものがあったほどです)スズキにぞっこんという訳にはいきませんが、それでも彼が活躍するのを応援したいと思っております。