はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

“転”のない生活(近況報告的なもの)

 真夏の伸びきった草に覆われた街外れの小さな沼は、ただ夜の沈黙を溶かしたように暗く、その深い緑色を風だけが揺さぶっていた。わずかに露な水面を太陽は静かに浮かび、円く白い写像だけを暗い世界に残していた。水の中は墨汁を流し込んだように黒く、光の当たるところだけがわずかに緑色をなして明るい。あるいは光は水面だけを直射し、底に向かうたびに暗がりとなる。遮られた光の断片だけがかろうじて見えてくるが、封じられた光はかえってわびしい。男はそうやって、沼のそばの道に立ちながらいくつかの想像を張り巡らしていた。
 水面は相変わらず煙を詰めたように濁り、その深さを知ることはできなかった。男はあきらめて沼から目を上げた。水辺に茂る草むらに挟まれるようにフェンスが立っていて、沼を一周している。フェンスの内側の茂みに、腐った水桶が取り残されたように置いてあるのが見えた。今でこそ家々が立ち並んできたが、昔はほとんどが畑だった。沼の水も農業用水として使われていた時期があったが、今では誰も掬う者が居ない。男は歩き出した。
 駅に向かう最中も男はさっき眺めた沼のことが忘れられなかった。男は沼の底に興味を引かれていた。水底に当たる光は直に差し込んだものなのか、それともやはりどこかに当たって跳ね返っただけの残光に過ぎないのか。光は孤独な人間が外の世界と交わるときに残す内面の印象と似ているのかも知れない。残光は他人の喜びの余韻に過ぎず、光を見た者の心はさらに孤独を深める。今の自分は沼の中に居るようなものだと男は思った。
 沼の底に藻が生えている。半ば沈むように短く生えた水草は光を求めながらその細い茎を水面に伸ばそうとしている。だが光は絶えず遮られ、まれに見えるものは他の存在に当てられたほのかな残光である。光を求めるため、あるいは暗闇から抜け出すために、水草は茎を少しずつ伸ばしながら生きるための背伸びをしている。残光の間を縫いながら、やがては水面に顔を出すだろう。
 光はただ待つものではなく、自らの力で勝ち取るものである。誰かに額づいて、慈悲にすがりついて分け与えられるものではない。たとえ絶望的な過程に居ようとも、わずかな力を頼りに生きて行かねばならない。他人の幸福を見せ付けられて、嫉妬に狂わされる日々は過ぎ去った。男は自らに言い聞かせるように水草の生涯を想像していた。やがてその足取りは速くなり、街中を小刻みに歩き続けていた。呼吸を速めながら揺れる体に滴り落ちるように、熱くなった額から大粒の汗がにじみ出ていた。