はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

作者中心主義と作品中心主義(Web2.0時代のクリエイティビティー〔上〕)

(立て続けにスズキネタを書いてるような気がする。今年に入ってからのスズキには事件が多いわな。しかもまた一波乱ありそうな予感がする。)
 インターネット時代の新しい創作手法の可能性か、それとも単なる怠惰か。創作をめぐるニートスズキ氏とヴァレンタインの憂鬱氏との衝突は、創造性に対する両者の捉え方の対立でもあった。
 ニートスズキ氏はこれまで、意表をついたパフォーマンスで絶えず世間の裏を掻きつづけて来た。それまでは“怠け者”か“社会の犠牲者”としてしか語られてこなかった存在であるニートに、“自由人”のイメージを吹き込んだのは彼であった。ニートである自身と、インターネット時代の最新の表現手段である動画とを一足早く結びつけたのも彼であった。彼は人とは違う発想をする才能を秘めている、そう感じた視聴者も多かったのではないだろうか。ファンは日々発信される動画をチェックしては彼の言葉を心に書き留めてきた。その鮮やかさに魅かれた者はやがて彼のブログ上に集まり、コメント欄は賑わいを見せていた。ヴァレンタインの憂鬱氏もそうしたスズキファンの一人であった。
 ヴァレンタインの憂鬱氏がニートスズキ氏を知ったのは今から5か月前のことである。ネットサーフィンによって偶然知ったそうであるが、以来熱心なファンとなった。2か月後にはブログを開設し、当初はスズキ氏への親しみのある言葉を綴っていた。文学を好んでいるという彼は創作への意欲を示し、今年に入ってからは小説を少なくとも二本書き上げた。うち一本はブログ上に連載されている。大学卒業を控え、別々の道を歩み始めたカップル。“彼”は“彼女”の余韻に引きずられながらも互いのズレを意識してゆく。作品は膨らみかけた二人の距離感を追いかけている。(ただし連載中なのでまだはっきりとは言えない。)もう一本は他に発表するための作品である。恐らくは文学賞に投稿するものだろう。ブログを読む限り、彼は作家志望である。
 将来の選択肢として創作活動を志向する者の文学観は、すでに職業意識を帯びている。クリエイティビティーに対する思いは人一倍強かった。ブログからは、作品中心主義ともいえる彼の創作観を読み取ることができる。作品は作者から独立した存在であり、それ自体として価値がなければならない。価値ある作品を生み出すためには、運と才能、そして作品にかける人一倍の努力が必要となる。文学にかける努力こそが、文学人として巷に立つための最低限の心掛けである。彼は自由人としてのニートに強く魅かれていたが、文学観は職業人のそれであった。
 一方でニートスズキ氏の創作観はそのまま作者観と呼びうる。作品は作者のパフォーマンスの一つであり、作者から独立したものではありえない。それによって作者を深く知ることができるが、作者が作品よりも目立つことに何らためらう理由はない。“普通の人”と違うキャラクターを持った人間の作る作品はすでに独創性に富んでいるのであり、作品にかける特別な努力などは独創的な作者にとっては不要である。作品が独創的でありたければ、作者が独創的であればいい。彼の創作観は作者中心主義である。(彼は間違いなくニーチェの影響を受けている。「『普通の人』ではない私」が「超人」に擬せられている。)
 ニート活動を行なう以前のスズキ氏は漫画家を目指していた。通常は多くの人に作品を読んでもらうため、漫画家としての技術の向上を考える。だが彼は真逆の戦略に出た。彼自身が読者の前に現れて、作者への興味を種に作品を読ませようとしたのである。作者のファンになる者は作者の考え方や感性を求めて作品をむさぼり読む。ならばはじめから作者が読者の前に出ればいい。逆転の発想であった。
 彼はそれまで行なってきた漫画修行を一切放棄し、人物配置とセリフだけの簡素な漫画を描くようになった。動画家としての活動もそれと並行して開始した。おそらくは自身の発想力とキャラクター性に手応えを感じていたのであろう。彼の漫画は日々発信する動画が映し出す彼のキャラクター性に支えられて多くの人に読まれるようになった。簡素な描写は時として酷評の対象ともなったが、地道な投稿を重ねていた時には酷評さえもらえなかった。その点で彼の作戦は半ば成功したとも言える(※)。
 だがそれは、修練を常とした創作の常道からは外れており、これまでの職業意識的な創作観とは相対立するものであった。そのことが後にヴァレンタインの憂鬱氏との衝突を生むことになる。
(※)スズキ氏は「報道特捜プロジェクト」に出演した際、ハンドルネームである「昼サイ」で登場しようとした。これは「昼サイ」名義で投稿している彼の漫画を読んでもらうためである。しかし局側に断られ、「ニートの鈴木さん」として出演した。彼は自らの知名度を梃子に作品を読ませることについて、「動画を担保に漫画を読んでもらう」ことだと話している。
(参照)「ヴァレンタインの憂鬱」ヴァレンタインの憂鬱氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/melancholy_of_valentine/
関連(拙稿):
知名度による創作とその反響(Web2.0時代のクリエイティビティー〔中〕)
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20080916/1221591963