はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

知名度による創作とその反響(Web2.0時代のクリエイティビティー〔中〕)

(書いたら止まらなくなった。長くなってスマソ。)
 インターネットを武器にその知名度を拡大してきたニートスズキ氏は、ニートのイメージを変えるための発言を行なうとともに、自らの漫画を精力的に描き続けてきた。それは多くの人に漫画を読んでもらうという彼の目標を叶えるためであり、知名度の拡大とともに期待される漫画家としてのオファーを待つためでもあった。彼はブログ上に漫画を掲載することについて、有名な人間の漫画は読まれやすいと発言し、知名度を武器に読者を開拓する戦略を堂々と公言してきた。
 彼の漫画はその戦略どおり彼の知名度によって読まれている。それは有名人の特権である。彼は有名になった後も自らが漫画家志望であったことを公言し続け、時にはオファーを望んだ。その一方で漫画はブログに載せればいいとも語り、自らがブログ漫画の先駆けであることにこだわった。それらは結果的に、漫画への関心を集める前振りとなった。
 しかし彼の戦略はその必然として、単体としての彼の作品を埋没化させる。彼の名前は有名になったが、それはニートとしてであり漫画家としてではない。彼の名前を伏せたとき、技巧を忌避した作品がどこまでの生命力を有するか、それが作品としての彼の漫画の真価となる。彼はそれを覚悟のうえで知名度による漫画の流布を試みたはずであった。しかし今回の事態は、彼の漫画家としての抜きがたいプライドを見せ付けるものであった。
 2ちゃんねるでは今日も彼に対する評価の応酬が行なわれている。彼を支持する者は彼の自由人としての姿に心を魅かれ、批判する者はその逆説的な毒舌に一矢報いようとしている。応酬は時として激しさを増し、批判者の声には罵倒や非難が混じるようになった。両者は自然発生的に集団化し、わずか数日でスレッドは満杯となった。
 この戦いにヴァレンタインの憂鬱氏も参加した。スズキ氏の好意的な視聴者であり、彼のブログの常連であった氏はアンチ集団への敵対心を示し、彼らが常に見ているスズキ氏のブログを介して立て続けに主張を書きたてた。彼は匿名性を嫌い、ハンドルネームで戦った。その堂々とした態度が彼をファンの急先鋒に立たせた。
 アンチ集団は彼の漫画を取り上げていた。人物配置とセリフだけの漫画は攻撃の対象になりやすい。彼が発言を続ける動機の一つは、漫画家になりたいという願望であった。この隠れた熱意をアンチは突いたのである。しかし知名度を武器に漫画を読ませていた時点で、彼は作品の完成度を放棄しなければならない。このことを自覚していればアンチによる攻撃は無視できたし、後の悲劇もなかった。
 アンチとの戦いの中で、ヴァレンタイン氏は彼らの口実を潰すことを考えた。漫画やライトノベルの創作に技巧を加えれば、アンチも黙るはずである。彼はスズキ氏に技術の向上を勧めた。単体として価値のある作品を求めたのである。彼はファンであるとともに、小説の作者としてスズキ氏に迫った。だがここで二人の創作観は衝突していた。技術を磨かないクリエイターを彼は知らなかったのである。
 ヴァレンタイン氏はスズキ氏を半ば尊敬していた。それゆえに進言する際も直接的な表現を避けた。技術に関する一般論を語り、スズキ氏への名指しさえ避けている。だがスズキ氏はその意味を敏感に汲み取ったようである。動画ではヴァレンタイン氏の追放を模索していると語った。創作に口出しをされたことでクリエイターとしてのプライドを揺さぶられたのであろう。だが彼のために動いたヴァレンタイン氏の誠意をスズキ氏は思うべきであった。
 今回の騒動でスズキ氏は二つの点でヴァレンタイン氏と衝突している。彼はヴァレンタイン氏のように作品の独立性を認めてはいない。それは彼が漫画をパフォーマンスの一部に組み込んだことによって示されている。技巧を加えた作品は自分のものではないとさえ語っていた。それほどまでに彼はありのままの自分にこだわった。彼が動画を配信するのは、彼の人となりを見てもらうためでもある。
 それにも関わらず、彼は漫画家としてもヴァレンタイン氏と対立している。彼は実質的には技術の修練を放棄している。それゆえに漫画が簡素になることは始めから覚悟しなければならなかったはずである。しかし技術について誰かと比較されることを極端に嫌っていた。漫画家としての彼の魂がそうさせているのだろう。ヴァレンタイン氏による指摘でさえ、彼は敏感に反応した。彼は技術について曖昧な態度を取りすぎている。
 スズキ氏はブラックユーモアのセンスがある。それが持ち前のポジティブシンキングと絡み合って彼の味となっている。奇妙系の小説を好むというヴァレンタイン氏もスズキ氏の独特の感性に魅かれたのだろう。今回の騒動があってからは「新たなアンチの誕生」とさえ囁かれているが、もう一度スズキ氏の面白さを振り返って欲しいと思っている。
 ニートスズキ氏の評価は彼のパフォーマンス全体を見なければならない。そのように彼の表現はできている。漫画や小説という単体の作品を取り上げるのは実は的を得ていない。(お前が言うなと言われそうだが・・・)彼の世界を面白いと思えればそれで十分なのである。漫画は彼の世界を如実に表わしている。それが彼を飛び出し得ないとしてもそれは彼がすでに覚悟していなければならないことなのである。(にも関わらず彼は技術にこだわる。一体どっちなんだw)
 ヴァレンタイン氏もやや勇み足だったが、技術に対するスズキ氏の曖昧な態度が生んだ悲劇であったとも言える。それにタレントがファンを追放しようとする前代未聞の事態を引き起こしたことは、いくら発想好きのスズキ氏とはいえ余りにも酷であった。ヴァレンタインの憂鬱氏はファンになってまだ日が浅い。スズキ氏の創作構想も知らない。今回のスズキ氏の対応は大人気なかったと言わざるを得ないのである。
(参照)
1.【イベント】ニートスズキこと斉藤智成part18【赤字】
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1220860439/
2.ニートチャンネル2008/09/11(2008年09月11日)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4587607

追記:

それにしても最近のスレの流れには速すぎて付いていけない。スレを覗いたらいきなりヴァレンタインさんがアンチ呼ばわりされているからどうしたのかと思ったらこの展開だった。正直おったまげた。

後記(9月23日):

なお、後編は存在しない。
関連(拙稿):
作者中心主義と作品中心主義(Web2.0時代のクリエイティビティー〔上〕)
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20080915/1221486657
1000文字小説のアカウント取ったとか(ひとりごとならべ)
※後編として書くつもりだったこと。書かなかった事情。
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20080923/1222165967