はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ニートは白豚になるか、白金になるかだ。

それは本人次第としか言いようがない。
白豚になるようだったら仕事を選んだほうがましだ。
白金になれるようだったら長期戦だ。


白豚=自堕落な生活に慣れてしまった者。
白金=才能を磨き続ける者。「ひらきこもり」。

自分ではどちらかが分かりにくい。

そんなときは一か月くらいのバイトをやって、
何ができて何ができなくなったのかを振り返ってみればいい。

なに?白豚を白金に変える?

こないだまでその路線だったな。>ニートスズキ
2008年の芸能人路線がそうだった。
もしかしたら「これは俺じゃない」と思ったのかもな。
彼は一度そう思うと途中で放り投げるところがある。
漫画も小説も、いや、動画でさえも。
で、今一番素直になれるところとしてネットラジオを選んだ。
(最近のスティッカム配信は過激すぎてついて行けない。)


とはいえ、ブログを含めて彼は「毎日何かをする」
ということを放り出したことはない。
まあ、「石の上にも三年」と言われれば耳が痛いか。
(てか書いてる俺が身につまされる。)

どうせなら、とニート像まで投げ捨ててしまった。

今度は遠くからニートを称える立場になっている。
ニートっぽい無職の完成、バイトをすればニートっぽいフリーター。

ただ、生活のすべてを賄っているフリーターとは違い、

いざとなれば親に依存できるし、少しの空白期間があっても
生活には困らない。だから余裕を持ってニート賛美を行なえる。
毎日ぼろぼろになって仕事をしているフリーターを
逆撫でしかねないことを、同じフリーターとして語ることになる。

これからのスズキ(斎藤さん)の活動次第では、

「働いたら負け」をめぐってフリーター同士の衝突が
行なわれるかもしれない。そのときに確固たる理論武装
行なえるかどうかが勝負の鍵になる。

いままでは、ニートとしての言葉に当事者の優位性があった。

今の斎藤さんにはそれがない。だから今まで以上に
頭を回す必要がある。場合によればいま以上にアンチが
わいて出るだろうから。

ただし今までのニート賛美はそのままの形では使えない。

彼はニートを辞めてしまった。

だからフリーター生活の中にニート性を入れることになるだろう。

それはフリーターを文字通りのフリーな存在として解すると
いうことだ。もちろん非正規労働者の深刻な状況はフリーの
観念を挟み込む余地を一切与えていない。

私の個人的な意見としては、

正社員であろうがフリーターであろうが、もう少し自由な生活を
認める感性を持ってもいいのではないかと思っている。
親を犠牲にした自由ではどうしても後ろめたさが残る。
しかしオンとオフを上手く使い分けるような発想を広げれば、
正社員が決して「社畜」呼ばわりされることのないような
自由さを、生活の中に取り入れる契機を生むだろう。

正社員だろうがフリーターだろうが、ニートの否定的な

面ばかりを取り上げずに、自由を取り入れるモデルとして
ニートを考えてもよかったのではないだろうか。

もちろんニートニートにしがみつく必要はない。

それは自由な精神とは呼べない。本末転倒である。
精神の自由さと生活のなかの自由を混同していると
言われそうだが、このことは強調したい。