はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年9月 その1)

「さあ、全共闘ユートピアがはじまります。」
「権力でつくったユートピア。現代のエル・ドラド。」
「町の人権標語が言ってた。『お前は取り残されていい。』」
「フリーターにとってまともな政党は、ただの一つもありません。製造業派遣の原則禁止をうたった党も、正社員とフリーターの身分制になれば抵抗勢力です。新卒優先の悪しき習慣には一言も触れていません。」
2ちゃんねるの匿名性は有難い。変な幻想を持たずに済むから。」
「匿名のほうが、自分たちに対してどんな観念を持っているのか可視化できる。社会の底辺が一枚岩でないことも、それに底辺どうしの連帯がまやかしであることも、はっきり分かる。匿名の書き込みについては、知る権利を要求してもいいくらいだ。だから私は2ちゃんねるが続いてほしいと思っている。」
「『被害側はいつでも、挙証責任がないもんさ。』『えっ、自己申告制かよ。せめて監査証明でもつけてよ。』」
ユートピアンの眼中にはいったら、言語化されている集団しか見えない。」
「大衆のなかに閉じこめられてるんだよ。もうそろそろ切開しなきゃな。」
「切り刻まれた日の丸の写真を額に入れて喪章をつける。それを民族パレードのときにつかう。民主党へのあてつけ。」
「モノで釣るって、あるイミ最低の選挙だったな。」
「甘い言葉がたくさん並んで、これほどうさん臭いと思えたこともなかった。」
「有利になれば自由、不利になれば平等。そうやって自由と平等を使い分ける。思想も何もない。それを今回の選挙で思い知らされた。」
民主党がバラマキを始めた今がチャンスだ。さっさとハロワに行け。どうせすぐに止めるだろうからな。今のうちだ。」
「カネなんかじゃなくて、仕事ください。」
「政治にのめり込みすぎて、偶然に笑われたのでは元も子もない。くれぐれも偶然に笑われないようにな。」
松下幸之助氏は、一君万民の土着思想の持ち主とお見受けするが、結果的にエリート集団を作られたのは皮肉だった。エリートは平気で大衆を引き回すから、どうしても不安になる。」
「批判を許さないのは、物事を偶然に委ねるということだ。」
「支配するためにある言葉。そんな胡散臭さ。批判の禁止が言葉に内在している。」
「小泉氏の『既得権益をぶっ壊す』は当時の私に、『正社員の既得権益をぶっ壊す』に聞えていた。」
「改革ときけばすぐに格差とかえす風潮で、そういえば近ごろはチャレンジという言葉を聞かなくなりました。」
「社会全体が守りに入ったような雰囲気で不安を覚える。この国はもう、立ち上がることができないのだろうか。さみしい選挙だった。」
「大衆は言語化されなければならない。その他概念では主体にならない。」
「我われは日本という慣習を失った。」
「まだ社会に甘えたいのか。」
「取り残されるんだろ、どうせ俺たちは。」
「取り残されたらファシズムのほうが優しい。」

かすかな期待感

政権交代で気分が晴れたという感じは正直持っている。民主党政権をプラスに受け止めはじめているのだろう。もちろんそれは生活しだいだ。

日本パラレル、あるいは自虐史観

今から、らりるれろを百回言う練習でもはじめるか。らりるれろらりるれろ・・・れろれろ・・・ろりこん。おい、お前やっぱり朝鮮人だな。いや、違うって。俺は、本家が加西の百姓で、龍野の武家の血が少sy/問答無用!\Aーッ...

歴史観難民

 私は、歴史観難民です。
 内なる自虐史観を克服することは、靖国神社A級戦犯を持ち上げることとは違うような気がするのですが、「そんなことを言ってるからお前は自虐史観なんだ」と言われたら、さて、何と言えばいいか。
 朝鮮人と聞くとすぐに差別を思い浮かべてしまう反射神経です。日本人として生まれたらいきなり罪人扱いですから、たまったものではありません。自虐史観を克服することは日本人としての尊厳を回復できるようでどこかほっとするのですが、今後は「お前は歴史修正主義者だ」とののしられます。
 いやはや、どう転んでも私は、追及と板ばさみから逃れられないようです。

「もちろん教育の成果だ。それに現実の反映でもある。だが、こういう見方じたいが人を人として見ない習慣を作り上げる。」
「日本人=悪、韓国人・中国人=善。これが前面に出ると、もはや人と人の一対一の関係はなくなる。人を見るときに、その人物ではなく、民族を見るからだ。しかもそれは過去を背景にした上下関係である。」
「それに、戦後生まれの人間にとっては、原罪以外の何物でもない。たしかにあれは侵略戦争だった。しかし、その人間にとって無関係な行為について、単にアイデンティティーが同じというだけで、どこまで責任を負わせることができるのか。韓国人に会えばすぐに謝罪を要求されるような状況は、すでに妥当性を欠いているのではないかという気がするのだ。」
「まずは人ありき。その次に歴史だ。自虐史観はこの順番を逆にする。外国人への配慮がかえって逆の効果を生んでいるのだ。」
「だから自虐史観から解き放たれたら即、他者への攻撃になるわけではなく、またなってはならない。それはあくまで、他者認識の順番を正しいものに戻す営みでなければならない。」
「偏見は文字通りのバイアスだが、自虐史観もまたバイアスだ。人の見方を正常にすることが大切だ。言うまでもなくそれは長い道のりであるが、これしかないと思っている。」
「韓国人はすでに主体だが、日本人は未だ慣習である。だから日本人は言語空間で劣後する。それは在日コリアンの六十年にわたる理論武装の成果だ。我われ日本人は、彼らに追い付かなければならない。」
「変に聞えるだろうが、日本人は主語にさえなっていない。」

「じゃあ、どうすればいいんだよと言われたら、私もやはり『みんな仲良くすればいい。日本人とか韓国人とか関係なく。』と口走りたくなるんですが、言ったそばから『寒いこと言うなよ』と聞えてくるんです。心の声が。だって、連帯なんてありえないから。それだけ社会の底辺はバラバラなんです。」
「この矛盾、どう止揚しようか。」(Haa...)