はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年9月 その5)

「魂(霊性)があるうちは美を求め続けられる。自らの肉体の醜を気にせずに。」
ルサンチマンにまみれたほうが、美に鋭くなれる。」
「美を求めるな、というのは不可能だ。精神の性質を否定するから。人間精神はなにも理性だけのものではない。」
「お前が言うな的オーラ(の泉)に包まれるだろう。手前のことは気にせずに美を求めるのさ。」

「できないのを人のせいにしてはだめだ。それに、できないことは倫理や道徳とは関係ない。強いて言えば、できない人間の中でのみ道徳的だ。内輪の倫理だ。」
「抜け出せるならそれに越したことはない。かつての内輪からは責められようが、べつに不道徳ではない。だから逃げても罪には問われない。」
「我われは内輪で悪魔を飼っている。それは我われを監視し、我われの世界に秩序を与えるために存在している。抜けがけを許さないための装置だ。内輪の悪魔だ。」
「悪魔というのは外の人間の像だ。我われはリア充をそう見ている。我われに対する無関心(しかし認識はしている)は、悪魔ではないかという疑心。人として見られていない感じ。」
「だから外の人間は悪魔を知らない。自分たちのことだから。ここの人間も内輪から抜け出せばおそらく忘れ去る代物だろう。だが私はこうも思う。悪魔を知らない者となんか、つまらなくて知り合いたくもないと。」
「何ができないんだって。仕事と恋愛だ。まあ、できない者を馬鹿にするのはれっきとした偏見と侮辱だ。それに抗することには倫理性がある。」
「私はいつもこういう問題では思うんだけど、べつに恋愛するなと言ってるわけじゃない。恋愛が当たり前のことだと思うな。恋愛を前提にするなと言いたいだけなんだ。」
「『できないから偉い』というのは思い上がりだし間違いだ。『できるから偉い』と同じように。」

「まいんに対する情熱を意図的に冷ましている。かわいすぎるから。」
福原遥もどうせ俺たちを裏切る。あんないい女になったんだ。あとは絶望しかない。」
「彼女は厳密に言えばアイドルではなく、女優だ。だから彼氏を見つけても俺たちに文句を言う筋合いはない。彼女をアイドル視していることがそもそもの間違いだ。」
「とはいえ、まいんのDVDは買うだろうな。」
「私のまいん熱は病的だ。それを癒すために更なるまいんが必要になる。効率的にまいんを見るために、あえてまいんを“情報”と呼んでいる。」
「実況板にはあまり行っていない。祭りに乗り遅れたくないという気持ちになるからだ。」
「ただし見なければ禁断症状。日常の中でまいんがボトルネックになって生活の流れを遮っている。」
「幼女は成長すればするほど手が届かなくなる。だから単に飽きたわけじゃない。まいん。」
「まいんちゃんって、やっぱり男知ってるのかなあ。」
「身も心もまいんにひたされたい。」
「美に睨まれて、ごうも離れることを許されない状態。私がまいんに覚えている感じ。」
「五年後の俺は、今の五歳児にはまっているような気がする。」
「あれだけかわいくなると、手が届かなくなる。まいん。」
「僕と彼女のカベを叩き割ったら、何も映らなくなった。ブラウン管。」
ラブひなで散財していた頃に比べてこの十年、悪い意味で何も変わっていない。成長してねえ。時間に対するコスト意識がない。」
「逃避のための文学(はまってるわ)が生活の中でボトルネック化している。」
「俺、全裸になるから地デジくれよ。ついでにDVDレコーダーも欲しい。ハイビジョンでまいんちゃんと遊びたいよう。」