はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

幼女スランプに陥っている

 いまや幼女に興味を持つことができなくなった。いわゆる三次元の、私と同年代の女性たちへの幻滅を幼女たちはもはや癒してはくれない。もちろんそれは私の感じ方が変わってきたからだろう。幼女の与える安らぎと性はいつまでも不滅であると確信しているが、私にそれを感受できる力が失われてしまったのである。(ロリコンは幼女に異性への欲求を完結させる。そこには性も含まれる。ここでいう幼女は小学生のことだ。信じられないだろうが一年生も含まれる。)
 ここ数日、私の幼女センサー(幼女への感受力)が働かなくなった。小学生を見てもこれまでのような強い関心を抱かなくなった。性的なものを求めていたはずが、ほとんど無関心である。大きな情念が体から抜けていくように、幼女から感じるものがなくなっていった。これは単なるスランプかも知れない。
 私は熟女マニアを並行している。幼女や少女、それに熟女。抜けているのは同年代である。これが普段の性生活(オナニーライフ)だが、同年代の女性に興味を抱くときもある。今回はその周期が長いだけかも知れない。ただ今までと異なるのは、幼女に救いを求める自分自身をやや覚めた目で見るようになったことである。(歳を経るにつれて同年代が熟女化している。30代半ばになれば私の性的対象は変わるかも知れない。)
 幼女に興味を抱くことは単なる幻想だ。それは私を含めたロリコンたちの暗黙の総意だと思う。(そしてタブーでもある。)普段はそれを口にせずひたすら幼女を追いかけている。夢を見ている間は心を傷つけられることもない。いわゆる恋愛市場で痛手を負った喪男たちが、自らの生まれ(外見)が与えた宿命(孤独)を忘れることができる。夢の中で彼女と暮らす。それが幼女を追いかけるということだ。
 男はなぜロリコンに走るのか。それは生きることで(ひいては生まれたことで)負った傷を癒すためだ。その癒しのなかに(恋愛市場で満たすはずの)性も含まれている。男の恋愛は幻想から始まる。異性との関わりの中で現実的な女性観に変容して行くものだが、喪男にその機会はなかった。恋愛市場から斥けられた喪男たちに残されたものは、同年代の女性から受けた傷と身体に浴びた嘲笑、それに行き場のない幻想だけである。異性への幻想は対象を変えて継続される。現実社会から受けた傷が大きいほどそれは強くなる。いやがうえにも膨らむ幻想を集めたのが幼女である。【註1】
 幼女に向けられた幻想は大人の女性に拒まれて反射した分に加え、喪男からより遠くにあることでさらに増分されたものになる。喪男は歳を重ねるごとに幼女との距離を広げてゆく。しかし反比例するように幻想だけは強まる。恋愛市場で得られなかった愛情を幼女は遠くにいるがゆえに求められることになる。
 このことは始めから分かっていた。それでも幻想を持ち続けている間は気にならなかった。だが近ごろはやたら意識している。幼女も所詮、幻想にすぎない。私は生身の接触に飢えているのだろう。大人の女性には斥けられた。その代わりに幼女がいた。しかし幼女たちも体に触れることはもちろん、話をすることさえできない。町を歩いている小学生に声をかけたいという欲求を抱くたびにその無謀さを自覚していた。彼女たちは遠い存在だからこそ幻想の対象になりえた。幻想をこれ以上抱き続けることに少し疲れたようだ。
 だがロリコンを止めたところで私には行き場がない。二次元萌えの世界は私には過去のものである。大人の女性はそもそも私を斥けた者たちだ。仕事を見つけて体を鍛えて、婚活というものに参加して喪男ゆえに足下を見られる。(フリーターはそこにたどり着くことさえ難しくなっているが。)処女でないことを不問にせよと無言の圧力で迫られようが、私の童貞は斥けられた結果だ。同年代の恋愛は喪男にとって屈辱の記憶と重なる。とても同年代に興味は持てない。
 しかし幼女にも夢を見られない。幻想であることを意識してしまうと、なかなか本気になることができない。夢の中で溺れて廃人になることをいとわない。以前はそう思ってきた。あくまでも幼女が無条件に美しくあり続けていたからだ。無条件とは私を受け入れてくれることだ。夢がそれ以上のものに化けてくれると思っていた。今はそれがただの夢でしかないことに気づいている。夢はリアリティーがなければ溺れることもできない。私は夢の相手を失った。
 これがほんの一瞬のスランプであることを祈りたい。大人にも幼女にもアニメにも救いを求められない人間は、もはや性的な無関心になるしかない。求めるものが大きすぎて心が疲れるからだ。だが私に解脱はできない。異性に未練があるからだ。それでも夢とともに依存心を捨て、救いのない世界をただ味気なく歩いてゆく。孤独に耐えろということだ。【註2】
 ついに私もその時が来たようだ。伴侶を見つけられず生きるのは辛いことだ。行き場がないのだから仕方がない。幼女は追いかけても救いのないただの夢。それでも心と体は幼女を求め続けるだろう。今はほんのお休みだ。幻想と分かって幼女を追いかける覚悟。それが幼女スランプを克服する途かも知れない。その時幼女はどういう印象を私に見せてくれるだろう。過去の夢の残骸であれば少し寂しい。
【註1】優れた外見に生まれた者、普通の外見に生まれた者にも同年代の女性への幻滅はあるだろう。それに彼女や妻から酷い目に遭わされて、喪男以上の憎悪を彼女たちに抱いている者もいるだろう。本田透氏によれば異性経験者こそが喪男の幹部候補生となる。童貞は性の誘惑に弱い。この点を衝いたのだろう。現実の女性からの離脱は経験者のほうが向いている。喪男を意思の存在と捉えればそうなる。私は意志で喪男になったのではないが、本田氏の活動は好意的に受け止めている。
【註2】2ちゃんねるのスレで二次元の嫁との二人暮らしを語っている男がいた。書き込みはやや狂人めいていたが、生活を書き連ねる様に一方ならぬリアリティーがあった。25歳にしてはどこか達観していた。妄想癖があり、精神科医のカウンセリングに行くと言ってスレを去った。2か月後の彼は若干トーンダウンしていたが、他人を中傷する癖は直っていなかった。(何、このブログもそうだろって。いいところを衝くな。)

追記(9月29日):

今日は急に小学生が欲しくなって抜いた。私はロリコンとして正常だった。幼女は喪男の最後の砦だ。離れる訳にはいかない。しかし幼女スランプが解消したようには到底思えない。私は女性に対しては悲観的な見方をしているが、そうでない人もいると信じたい。出会いがあれば小学生のことは忘れてしまうだろう。性の対象が定まらないから幼女インポテンツの危機が訪れるのかも知れない。

追記(10月4日):

よくよく考えたら、小学生に萌え萌え言ってるのって馬鹿なんだろうな。あっ、ロリ天使様ごめんなさい。逃げないでぇ・・・。こうなったらまいんちゃん親衛隊に入ってロリ感性を取り戻すしかない。入隊届出してくるわ。

告白(10月4日):

「いないいないばあ」のことちゃんで、オナニーしました。
(♪あのとき君は若かった♪)