はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年10月 その3)

言語化されざる実存」
「強制される自己否定」
「放置された抑圧」
「抑圧を言葉にできないために立ち上がれない者がいる。そういう疎外者を無視して先に認識された弱者だけで疎外概念を独占してしまっている。人権擁護はまず彼らを念頭に行なわれる。」
言語化されざる疎外者。ネット右翼の原形。」
「自らの疎外を言葉にできず、不存在感を埋めようと他者への攻撃に回る者もいる。何ら解決にはならないが、彼らの疎外が捨象されているのではないか。」
「追い詰められた人間が他者を攻撃する。その行為を差別として糾弾するだけでは、その人間に加えられてきた社会的疎外はどうなる。もはや放置に等しい。」
「少なくとも、自らが受けてきた抑圧を表現する言葉と、抑圧の社会的認知が与えられるべきだ。人権擁護という言葉にさえ、自らの不存在感を刺激され続けている。今度は彼らの人権も語られるべきだ。」
中産階級が分離して以降、中産階級と被差別者という二項対立の関係が崩れた。いまは中産階級から下方分離した層が形成されている。彼らは自らのアイデンティティーを明確に表現しえないまま、一部はネット右翼に走っている。」
「3年ばかし見てなかっただけでもうニュー速についていけない。」
「利権を持たぬ者、奪われた者は他者の利権を潰すしかない。」
「自己否定の先に実存の破壊。止揚されざる社会。」
「人のことを理解させる前に、私のことを理解してくれ。」
「不釣合いに巨大なアイデンティティーを持たされるのがマジョリティーにとっての苦痛だ。」
民主党政権になって希望も生まれている。失業問題に手を打ってくれると期待している。」
「人権は使い方を誤れば他人の尊厳を踏みにじる武器になる。特に他者に発言権を認めない場合。」
「もし連帯の可能性があるなら、おぞましい形でしか成り立たないのではないか。つまり共通の敵を見出すということだ。」
中産階級から下方分離した層がいかなる言葉とアイデンティティーを持ちうるか私には分からない。(当事者であるにも関わらず。)そこが言葉の飢餓感になっている。我われのうちの一部がネット右翼に走っているようだが、他者の叩きばかりで自分のことを何も語っていないことに不満を覚えている。彼らは自らの言葉を持ってはいない。一方で他者の存在の明確さや政治的運動の高まりが自らの不存在感を引き立てている。」
「他者との緊張と(予感であっても)生存の危機とに置かれた者は、自己認識を深めるか他者を攻撃することで自己存在のあやふやさ(不存在感)を補い、克服しようとする。前者の可能性が現時点では認識技術的に乏しいからこそ、我われの一部が他者攻撃に走っている。」
「その意味で全く非生産的だが他者攻撃は自己の保存手段の一つとなっている。自己認識が可能にならない限り、元中産階級の下層集団にとっては他者攻撃が自己の保存手段として有効に機能するだろう。」
「どうも我われは現状の直線上にある死をリアルに見ているようだ。言葉がなければ『俺は死にかけている』と言っても誰にも伝わらない。」
「政治的に発言するためには主体になることが絶対に必要だが、その前提としての自己存在の言語化に我われは失敗している。そこに下方分離した中産階級が焦りと苛立ちを覚えている。」
「社会から疎外され、社会的認識からも捨象されているという感覚。これを不存在感と呼んでいる。これを克服するのに他者を攻撃しても本質的に何の役にも立たない。ただ、あるべき認識の不存在を暗示し続けている。自己存在と認識のされ方とのギャップを示している。」
「そうこうしているうちにまいんちゃんを見逃した。最初の3分だけど、オール3次デーだからきつい。ネット右翼のことを書いたってろくに読まれるわけでもない。さっき小倉優子で抜いたばかりだから今日は賢者モードで見たよ。」