はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年10月 その4)

「あの事件も所詮は止揚なき社会の単なる再分配に過ぎない。」
「濾過装置としての資本主義があって、最後に社会保障が待っている。はず。」
「今や権力なしに平等はありえないという。平等を語る者はいかに人格的に優れていようが、彼ら彼女らの権力志向を見ないわけにはいかない。平等のために権力を用いる。その達成が難しければそうであるほど権力は専制を帯びてくる。私は非正規層として民主党の政策に好意を寄せつつあるが、民主党の平等志向が専制志向に転化することを内心で恐れている。(自民党は最低限のことさえしなかった。いまふり返れば、自民党は我われに餓死を命じていたようなものだ。)」
「権力がフリーターのために使われている間は我慢できるし、民主党を支持もする。だがお人よしな権力など存在しない。平等を志向した権力の行き先は社会生活への制約となって返ってくるだろう。生きるためとはいえ、この制約にどこまで耐えられるか。」
「だからスウェーデン信者は信用できない。権力志向が透けて見える。」
「我われの生活が保障されず、権力の維持が自己目的化する。それが最も悪いシナリオだ。」
「自由をぬかす輩も信用できない。誰かを取り残すつもりだろうから。平等を唱える奴も信用できない。どうせ権力が欲しいだけだろうから。政治家は人が生きられる(もちろん文化的に)最低限の生活と尊厳を保障してくれたらいい。」
「自由がもたらす害悪(餓死と尊厳の破壊。もちろん競争敗者の。)をいかに権力を用いずに抑えることができるか。」
「企業の社会的責任のなかには新卒学生の採用が含まれているが、フリーターの雇用はどうやら入っていないらしい。」
「ここで重箱をつつこう。子ども手当は恋愛市場の敗者への二重の仕打ちになる。ただでさえ外見で負けたのに、国が勝者を励ますのだからたまらん。もちろん子ども手当少子化という実践上の課題を克服するためのものだ。子育て世帯への支援が必要なことは理解している。でもなあ、政策は実践的な問題だけでなく、アイデンティティーの(もしくはイデオロギーの)問題もクリアして欲しいとは思う。そうしてこそ利害対立者どうしの緊張を招かずに済む。」
ルサンチマン自民党政権が生み出した。いま民主党政権アイデンティティーを刺激する政策を矢継ぎ早に進めたからといって、自民党政権を期待する気は毛頭ない。」
アイデンティティーはルサンチマンによって鋭敏になる。生活に満足できている状態では見逃すことのできたアイデンティティー上の諸問題も、ルサンチマンを抱いてからは注意をこらすようになった。だからといって自民党政権を待望することは、ルサンチマンの深みに自らはまりに行くようなものだ。あの社会があったからこそルサンチマンはあった。民主党がそれを克服しようとしているのだ。足取りはおぼつかないが、生活再建に向けた気持ちは自民党より買える。」
「実践的な問題を解決するためにアイデンティティー上の問題が劣後されることがある。自分たちのことは無視されるが、他の集団は政策上優先されるという思い。マスコミや人権教育に頻出する集団に、取り残された者が抱く思いだ。」
民主党の政策がルサンチマンの解消につながればアイデンティティーの問題は昔のように見逃すようになるかも知れない。」
「政権が交代したのに現状は何も変わらず、おまけに日本人としてのアイデンティティーはないがしろにされる。それが最低のシナリオだ。」
アイデンティティーの問題が社会的に解決されるよりも、ルサンチマンを個人的に解消するほうが早いのではないか。ただしそれができればやっている。」
派遣村ができたとき、正直うれしかった。これで俺たちは表に出られる。社会的認識を勝ち取ったと思った。だがすぐに叩かれた。叩く者は派遣村を見て己の不存在性を刺激されたのだろう。我われと紙一重である。」
「認識されざる集団、語られざる集団がまだまだたくさんいるということだ。しかし派遣村は素晴らしかった。もちろんあのような貧困を二度と許してはならないが、非正規労働者の現状が可視化された。」
派遣村によってはじめて非正規労働者の問題が、単に統計的な認識をこえて可視化されたように思う。」
「だが、派遣村は忘れ去られようとしている。日本型経営や終身雇用(正社員のみに絞った企業福祉)が当たり前と思われている状況では、あのような形でアピールしなければその異常性は分からなかった。未だに新卒学生の優先雇用が行なわれているようでは、フリーターの雇用は二の次三の次だ。」
民主党にはくれぐれもフリーターを雇用の調整弁として扱わないようにして頂きたい。人手が不足していると安月給の仕事に就かせるようでは自民党と同じだ。我われの足下を見ないで頂きたい。」
「革命から逆算されたプロレタリアートはもはや存在しない。」