はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年12月 その2)

「人のほうが残酷だ。」
「顔面に軽石をこすりつけてやる。」
「憎まれ口をたたく余裕さえなくなった。」
「人の子供だから人として扱われているに過ぎない。」
「電柱の一本一本に張りつけられた藁人形に気づかない振りをしろ。」
「ここにいても、もうひとつの世界にはたどり着けない。」
「孤独と幸福を分けるものは、ただの肉体である。」
「この義務を我われだけに負わせるつもりか。」
「ふり返れば、ニコニコ動画はひきこもり養成ギブスだった。」
「ひきこもり特集のビデオを流していると、母も食いついてきた。まずいなあ。寮の朝食がしっかりしていたのでうちもあれくらいの作ってよと言ったら、しまった。メシくらい自分で作ろうねと内なる声。ビデオは、親が子を甘やかしているからひきこもりを止められない。だから子離れしろという趣旨。」
「友人が来た。中学の同級生だ。再就職活動中だが、20社以上応募して内定なし。ただ、嘱託職員として働いていた経歴が幸いして、書面審査はアルバイトの頃より格段にクリアしているそうだ。彼は期間職員として大学で1年間働いた。ハローワークで見つけたという。」
「そいつが言ってた。8年前のパソコンでは延々と時間を食ってたが、今度は性能が良くなりすぎて見るものが増えた。時間が逆に長くなった。2ちゃん中毒になりつつあるという。」
「電子レンジの中で人が倒れているという通報を受け、私たちクルーは現場に向かった。」
「調子が良くなければそこでやめて、新しいネ申の登場を待てばいい。」
「ニコニコのフラッシュ広告にさえ反応できないでいる。」
「パソコンの死を看取ろうとしている。」
「一つの生き方しかできない国。」
ニートニヒリズムの最終兵器だ。」
「ネットは最低限のことだけすればいい。」
「早くしないとお寿司屋さんが冷めますからね。」
「価値観の違う二つの世界を行き来しているように思う。」
富良野塾の入塾試験に落ちた一休を探している。あれから10年、もう39歳か。彼は某個人掲示板のコテハンだ。作家志望だった。」
「さっきの奴に、幼女を観音開きにして納豆を詰めたら面白いんじゃないかと話したら、変態通り越してヤバイわと言われた。」
「しかもブログで延々とそんなことを書いている。あえて教えないから探してみろと振った。すぐ見つかるんじゃないか。」
「そいつは俺の幼女趣味を知ってるんでね。もともと変人扱いだから違和感もない。もちろん彼も喪男だ。」
「人に知られなくても、神に知られればいいという時代がうらやましい。」
「誰かについて語ることでその人に並んだ気がする。ただの勘違い。」
「お前はバラだけが全ての存在だと思っているのか。」
「素晴らしいが、出オチの可能性がある。」
「自分の言った言葉に自分ではい、や、うんと答える。」
「もうひとつの世界へのあこがれは少年期からあった。今ではその傾向が強くなっている。」
「藁人形の手をもいだ幼稚園児はその後、私によって連れて行かれた。その先は言えないが、泣き声が尋常ではなかった。」
「もうひとつの世界は、単なる空想ではなくいまこの空間にある世界の別の見方であり、これからの開拓が望まれる領域だ。」
「自由に期待するか、平等に期待するかは実はさして違わない。ただ苦しみから逃れるための道の違いだ。」
「東京から来た言葉を関西弁に翻訳するのは難しい。ネットの前にいると言葉が標準語めいてくる。」
「自殺がなぜいけないかといえば、生まれたからとしかいいようがない。」
「犬のように我慢しろ。よだれを垂らして我慢しろ。」
「画面を見つめても、現実がはね返ってくる。」