はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

新聞投稿に挑戦してみた。(第二回)

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こちらへどうぞ。非モテのひとりごとです。
「ひとりごとならべ(2009年11月 その5)」
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20091118/1260946121
(日付の入力をミスったので、付け替えました。)

1.「高くそびえる自己責任の壁」(題名は選者)

神戸新聞「発言」3月7日掲載)
 炊き出しを待つ若者たちの列が朝の公園に続いていた。その姿はぎこちなく、不慣れな足取りに雪まじりの風が過ぎて行った。
 男は粥をすすりながら昨日の言葉を思い出した。道すがらのことだった。路上で抜き去った中学生たちの冷めた笑い声が背中に響いてきた。断片的に聞こえる小声のなかで「あいつ派遣村かな」といった言葉だけは聞き逃さなかった。誰かが無遠慮に「自己責任」と言った。男にはむしろこの言葉が刺すようだった。
 怒鳴り散らしたい衝動に駆られたが、それ以上に悲しかった。涙があふれそうになったが、その場をこらえた。
 粥を終えた男に風が砂を舞い上げて飛び込んできた。目をしばたくと、涙が止まらなくなった。男は泣いた。
 男を取り囲んでいる「自己責任」は壁のように見えた。「この壁はよく風を通す」と皮肉まじりに笑った。

2.「耐えるから花の風情がある」(題名は選者)

神戸新聞「発言」7月28日掲載)
 南九州の桜が100年後には咲かなくなるという記事を読んだ。冬が暖かくなることでつぼみが目覚めなくなるという。
 今の品種が温暖化に適応できなくなる。それなら品種改良して適応できるものを作ればいい。そう思ったとたんにはっとした。
 花は春の訪れを告げる。暖かい風に包まれた花びらが澄んだ空を美しく彩る。だがその鮮やかさは、冬の寒さがあってこそのように思える。冬を耐え抜いた人の心が桜に和む。それが風情というもののように思える。
 温暖化によって季節の区切りがあいまいになり、桜が咲かなくなる。それは人への報いかもしれない。それを品種改良までして咲かせることに、業めいたものを感じた。
 いざ咲かなくなると、品種改良は行われるだろう。それまでと同じように咲いてくれるだろう。そのとき、桜はいかなる感情を呼び起こすだろうか。ただ4月を告げるだけの花になっていては、やや寂しい気がする。

3.「北野誠さんの復帰を」

神戸新聞「発言」10月11日投稿。落選。)
 北野誠さんが芸能活動を謹慎されて今月で半年になります。ラジオ番組で話した内容が不適切なものだったと抗議を受けたそうですが、話題にされた当事者との話し合いのすえ、謹慎という結果が伝えられました。
 すでにラジオ番組が打ち切られていました。そのときの衝撃は忘れられませんが、北野さんの謹慎はより唐突でした。記者会見の北野さんは頭をさげて泣いていました。その姿が印象に残っています。
 謹慎に至る詳しい経緯は報じられませんでした。話題にされた当事者が誰だったかさえ分からないままです。もちろん個人の名誉に関わることだったのかも知れません。
 ただ、芸能人が謹慎するのに半年間は長かったと思うのです。レギュラー番組を全て降板してテレビから姿を消しました。もう半年です。償いとしては十分だったのではないでしょうか。
 当事者の方々には、半年を節目に北野さんの芸能界への復帰をお考え頂きたいと思うのです。

4.「林同春氏の遺言」

神戸新聞「発言」11月28日投稿。落選。)
 林同春氏がラジオ深夜便(心の時代)に出演したのは6、7年前だった。
 戦前の日中関係からはじめた林氏。南京大虐殺と言いかけ、陥落に置きかえる。その慎重さに、日本人を意識していると強く感じた。
 話の中心は戦前、少年期の林氏が受けた体験だった。竹槍の的にされた軍事教練、特高による拷問。感情が高ぶり、心を静める。その繰り返しだった。
 竹槍の的にされた時、顔を背けて軽く当てる者もいた。だが本気で走りこんでくる者に、林氏の声は最も震えていた。戦後、このことを話した者はいない。拷問を加えた者も沈黙した。「そういう人は自ら語ることはない」という言葉が諦めまじりだった。
 「差別がなければ、私は中国人であることをここまで強く意識することはなかっただろう。」最後に述べた言葉の口調は強く、日本人への遺言になったように思える。
(「6、7年前だった」は曖昧すぎた。投書もメモの域を出ていない。)

関連:

「新聞投稿に挑戦してみた。(第一回)」
http://d.hatena.ne.jp/harunobu77/20080512/1210590810
前回の投書(女専車両批判)が、いろんなスレに張られてたんだな。あれはびびった。まあ、最初の一枚は漏れが張ったんだけど(笑)。華麗にスルーされたよ。しかし、発信源がばれると、逆に攻撃の材料にされかねない。勘のいい人はここを見なくても、私が喪男であることは分かったかもしれない。喪男が何かをやると、不思議なもので叩きの対象になる。私がここに掲載したことで、あの一文のインパクトは下がったかもしれない。(またキモオタがほざいてると思われるんだろうな。)