はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2010年1月 その1)

「今年のテーマは親離れ」
「細かいところを曖昧にしない。」
「正論で吐き返されても困ることがある。」
「何て言うか、まあ何て言うか、とにかく私は、何て言うかが口癖なんだよ。」
「いつから俺は、人のことをどうこう言う小さい奴になったんだ。昔から。ならいいや。」
「大人だと思う人について聞かれたら、人はそれぞれということを分かっている人と答える。若干矛盾しているだろうが、自分で自分を処せる人とも言う。」
「先月はひとりごとのほとんどが非モテ関連だった。先月分の記事をご覧になればお分かり頂ける。さすがに他にするべきことがあるだろうと思い、他のことを考えるようにしている。」
非モテについて考えていると、思いつくのが幼女の下ネタ。いや本当に。嘘だとお思いなら10月から12月までのひとりごとをご覧ください。」
「書き続けていれば何かが繋がるだろうと期待して言葉を短く書き留めてきたが、その結論が何も考えるな。これも一種の思考停止か。いや、これはイデオロギーのつもりでない。ただ自然とそう思った。」
イデオロギーは一つの世界で全てを完結させようとしたときに生まれる。今のような分断の時代には、世界の重層化こそが求められ、単一の世界を前提とするドグマは勢いを失わざるを得ない。換言すれば、一つの世界でさえ、異なる価値観の並存が当たり前になっている時代だ。一つの価値観で世界を説明することは、もはやできない。」
「当然という観念は、一つの価値観で社会を説明しようとしている点で、イデオロギーと軌を一にする。」
「キャラは浮かんでくるが記号的で薄いと実は思っている。ひとりごとを読み返して。私はまだ道徳でものを考えて、その奥にあるものを避けている。」
喪男の範囲が広くなったような気がする。女性が苦手であったり、避けられたり、嫌な思いをした人がそれだけ多いのだろうが、そろそろガチ童貞について語りなおす必要があるかも知れない。」
「ただ、体制への闘士は衰えていないはずである。まだまだ私は喪男として気力に満ちているはずだ。」
「『言わないと分かんないのか。』この一言に尽きる。」
「私の場合、演技を企む必要はなく、動き一つとっても非モテであり喪男だ、と自分では思っている。だから実は、喪男らしさを求める必要はなく、なすことがすなわち喪男だ。私の喪男は生まれながらの宿命とも言え、もはや自己とは分け難い。」
「今あるものを使い果たせという風潮。女性が自らの肉体の“消費期限”を気にしてセックスに走る姿に、どこか刹那的なものを感じる。同年代への憎しみは残るだろうが。」
「女性を憎むな。話を聞いてくれる人が居るかも知れないじゃないか。憎んでたら表情に出て、好意的な人さえ遠のいてしまう。」
「人は欲をもって生まれる。欲ゆえに取り合い選び合い、勝敗に分かれ立場をもつ。勝てば手放すまいとして、負ければ言葉で奪い取ろうとする。どちらも自分の欲を認めれば幸せが逃げてしまうかのように、頑なに鏡を遠ざける。」
「勝ちすぎという観もあるし、敗者への配慮が欠けているようにも思える。ただ欲張ってようやく人並みになれるのかも知れない。人のことに構っている場合ではないし、周りを見ていられない時代のようでもある。」
「人の欲と戦うのは馬鹿げた話だ。何様のつもりとなる。なら独占をやめろというと、話が人のささやかな幸せをめぐっているだけに、これも難しい。では当然という観念はどうか。となれば、言うべきことは山ほどある。」
「学生時代のほうが見た目はひどかった。全くの無頓着だった。だが心栄えはよかった。外見に無頓着でいられた超然さが今は羨ましい。馬鹿馬鹿しい外見レースに突入したら、負けることを恐れなければならない。」
「何を言われても構わない。私はまだそういう覚悟が足りないのです。人の言葉を気にする若い頃の潔癖がまだ残っています。三十をとうに越え、そろそろ人間が傷だらけで生きていることに気づく必要があるようです。」
「人を告発するのは疲れます。ただそれを止めると書くこともなくなる。一体、私は何をしてきたのか。人を責めれば人なしでは生きられなくなる。一人で生きられる心持がいつまでも自覚できない。困りました。」
「人を恨んでいると、自分の欲に気づかされる時がある。」
「話を聞いてくれる人の現れることに絶望すると、恨みや憎しみが生まれやすい。」
「自分の欲は人を恨み、それが強くなるほど意識していた。しかし告発者が欲ばりでは話にならない。だから言わなかった。(実は一度だけ言った。8月に。)」
「恋愛できなくてもいいかと開き直ったとき、人を待つ気持ちに気づいた。人を待てるようになり、一人で生きることにようやく自信が生まれた。」
「ただ幻想はいつまでも消えることがなさそうだ。今までの人生を支えてくれたから。」
「理解はお互いの限界を認め合うことではないか。理解しようとしている姿勢自体を理解するという構図だ。(完全な和解はありえないとしても。)」
「今まで孤独だった者が、それまでの孤独を訴えて、言葉が荒かったとして、なぜ責められなければならない。彼を責める者は彼の孤独にかける言葉がないのか。」
「無理解との戦いは疲れるし、自分の無理解も刺されかねない。それでも言うべきことは言う必要がある。だから『当然って言うな』と繰り返している。」
「私は欲を持つからこそ、他人の欲を憎んでいる。本当に解脱した者は、決して人の欲を憎んだりはしない。自分が欲のない振りをして、他人の欲をけなす。それは自分が欲張りだと言っているようなものだ。」
「もちろん私に解脱は不可能だ。ただ、欲を憎んでも何も得られないということを知った。私が求めているのは単純に救いだ。それは宗教的なものではく、現実的なものを指している。」
「社会が止揚されれば、全てはうまくいくはずだ。だがそんなものは夢物語に過ぎない。」
「人の欲との戦いは、己の欲への戦いを誘う。結果、自分の欲がそれ自身と戦うという事態を招く。一種の停滞である。自らの心中で、欲の共食いが始まる。しかも戦っているのは、いや、ここからは言葉を持たない。確かに戦っているように見えた、一つの円環。それが先頭を争い合っている光景だった。」
「あるものに意思を傾けると、どこかに区切りを持ちたくなる。すると本来ないはずの先頭を与えようとする。まさか対象が動き出すとは思わなかった。戦い合っているものが実は一つの実体だったとは、皮肉にもならない。」
「欲の自己運動に苛まれるのは、しんどい。しかも言葉というのは、ないはずの区切りを与えることもある。」
「むしろ欲を持つ者として、何かを奪い合うほうが心持は楽かも知れない。そういう戦いを意識したことはないので、欲の果てにある心持は何も知らない。」
「ただ、今のような負け犬根性では心が持たない。欲は中庸であれと聞いたこともある。勘所が難しい。」
「若年失業者としての怒りを忘れてはならないし、それこそが私の最重要課題だ。『何とかしてくれ』と言い続けなければならない。」
「ブログの編集に時間がかかった。大半は編集する踏ん切りがつかなかったために過ごした時間だ。それに、またルサンチマンに呑み込まれるかも知れない。そう思うと手が出なかった。書いたものを再読する。近ごろはあえて短文を繋ぐことにしているが、文は短いほうが言葉が正直だった。二度読みに耐えられないものばかりだが、繋ぎ合わせて書き手の心境が浮かび上がれば幸いだ。」
「ブログで自分を客観視させようとする。こう言ったのは誰だったか(動画家ニート?)。私にもそのことが理解できたように思う。」
「この5年間の侘びを親にしなければならない。それは合格という形で返すことだ。」
「これまでの内容は、人の欲そのものと戦って、敗北した記録だ。」
「一つの価値観に立脚しうる時代にはもうない。」
「暗室。白い円環。」