はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2010年1月 その2)

「お約束の非モテ談義」
「今回も飛ばしていきましょう。」
「男性はDVの濡れ衣を着せられやすい。」
「よかったよ。喪男の気持ちが分かる裁判官で。」
「少々性格が悪くても、容姿がカバーしてくれる。」
恋愛資本主義はたとえるなら社会保障のない淘汰。」
「自由は淘汰に近づくほど、恥知らずな観念になる。」
「自由を行使するなとは言えないが、口にすると寒い自由もある。」
「淘汰された者は、淘汰を語る権利がある。自由の真の行使である。」
「草ばかり食ってたんだから、肉食えて有難いと思え。と言われた婚活男子。」
「『草食系男子』は自分たちが望んだわけでもないただの美化。押し付けられて困惑している。」
「あったものをなかったと言われると実に腹の立つものです。非モテ問題とか。」
「そこは幼女力で乗り切るんだ。なんだよ幼女力って。天使のように何も考えない心さ。」
「私はまいんちゃんを天使と呼んでるけど、本当はそんな味気ないものじゃ困る。より積極的に私を愛して欲しい。おい。彼女は天使などでなく、一個の人間さ。そして私を愛している。この私を。それが天使だ。おい。」
「都合のいい女は不自然に行動する。だが自然に動けば性淘汰が始まる。女性描写を批判する者は性淘汰を暗に肯定しているようにしか思えない。」
「間接的にでも、性淘汰の勝者が賞賛される小説は、設定の欠陥としか思えない。恋愛感情は人間にとって普遍的だが、恋愛そのものは普遍でなく、勝者の特権に過ぎない。」
「しかも恋愛競争は競争よりむしろ確認である。敗者は生まれながら決定している。競争は外見の流動性でなく、序列の固定化を招く。」
「淘汰される者への共感は、敗者への単なる同情や美化からは生まれない。敗者の生まれに対する理解が不可欠である。」
ソープランドを社会通念上問題があると言われる方は、セックスを今すぐお止めください。」
「他にも苦しい人が沢山いるのに、なぜ救われる人が限られる。」
「生理的な問題をここに放り投げられても困る。」
「何かを起こす人間は、いつも淘汰される側だ。セクハラ、ストーキング、人殺し。」
「『何でロリコンに走るの。』質問が的外れだ。何で女性は僕を避けたがるの、逆に言いたい。」
「『キモイから。』お前みたいな奴に言葉の自由を許したくはない。本当は自由が嫌いなんだ。」
喪男アートは可能か。喪男を重点に。男性の解放。原罪観からの解放。性選別からの解放。フェミニズムからの解放。これらを作品として示す。」
「自然や制度は悪意に満ちているが、それを覆すのがカネの力だ。『カネで買えないものは差別につながる。』ホリエモンの名言だ。『女は金で買える。』失礼ながら、彼はルックスによって証明した。」
「べつに共感は要らん。俺たちの作った世界を潰すのはやめてくれ。ジュニアアイドルや二次元。せっかく俺たちが世界を築き上げても、河原の鬼たちは全て崩し去る。」
「敗者をそっとしておくとか、住み分けるということさえしないのはどういうことか。平気で喪の空間に割り込んでくるのが言葉であり規制だ。」
「草食系と書かれた排除の手紙を読み上げ、彩絵の箱からさっと立ち去る手際は、さすが出版人。今からこの箱が私の見世物小屋になるのか、もう冷めもせず体育坐り。」
「社会が非対称性に満ちていることは言うまでもない。だが妬みから出た言葉は何とも醜い。」
「私は前世で人殺しでもしたのでしょうか。こんな姿に生まれて、誰に償えと言うのですか。」
「自然はどれほど残酷で、敵意に満ちたものか。」
「そもそも自己と他者は非対称だ。」
「俺はこの人から生まれなくて幸福だ。」
「恋愛は喪男の不幸が詰まっている。おい。二価論が過ぎるか。」
「はい、どうも、桂蘭丸です。また思いつきかよ。いや、美少年落語家さ。」
「競争は仕方ない。人間の不条理と諦める。だが尊厳まで奪うな。」
「お金で買えるものはせいぜい商品だけだ。自惚れられては困る。」
「しかしお金で買えないもの、例えば人とのつながりや自然は暴力的な響きさえ帯びている。」
非モテ問題は、生まれによって性行為の選択に差が生じることだから、貧困問題に類似したものがあるはずなのに、有利な外見に生まれ、異性の消費を繰り返した者は『恋多き女』や『プレイボーイ』というふうに賞賛ばかりされる。」
「生まれを競うだけの争いに競争の美徳を見出すことはできない。生まれで全てが決まるんだから、恋愛資本主義じゃなく、恋愛封建主義だ。」
「横浜・内川選手『顔も野球も負けたら、立つ瀬ないよ。』亀梨君に凡打をとられて。(12月29日のテレビ)」
喪男派遣村を組み合わせる。そこに加藤乱入。加藤、ここじゃない。」
「彼の孤独に鞭を打つ。」
「不遇なら罪が許される。そんな都合のいい話はない。加害者の社会的疎外を被害者個人が負わされる必然性はどこにもない。私は加害者への社会的疎外を正当に評価したほうがいいと言っているだけだ。被害者にとって犯罪は、あくまで具体的なものだ。それで人生を狂わされることもある。加害者の社会的属性によって罪や傷みが軽くなるはずもない。」
「刑罰は受けた傷を第一義的に考慮する。それに反対する者は犯罪は誰もが被害者になるということを考えなければならない。秋葉原事件で私は加藤に同情した。しかしあの時間、あの場所に立っている。それだけで私は彼に殺されていただろう。」
「そもそも被害者と呼んだ時点で何らかの社会性を負わせてしまっている。生きている人物の具体性が捨象され、被害者某氏として抽象される。しかし我われが知るべきは、某氏その人や受けた傷は他の誰とも代替性がないということだ。彼らを被害者と呼ぶことに慣れすぎて、その痛みさえ単純化された。許しの強制はいまも演出され続けている。」
「被害者の痛みを単純化したことで、それが操作可能性を持つと錯覚された。これが加害者との対話という形で、許しを引き出そうとする雰囲気を形成する。単純化された痛みは単純化された許しに対応する。許しの事実はマスコミを介して流通する。」
「痛みを客観化することは決して流通を目的としたものであってはならない。苦しみを和らげるための行為が義務となる。許しを流通させるために許しを加工する。憎しみの否定や和解が当事者の外から誘導されるとき、その可能性は高い。」
「作戦としての手紙」
「この世は悪意に満ちている。だが個人はとてつもなくか弱い。」
「性淘汰の敗者が物語で恋愛の追体験をすることはある。その典型は二次元。」
「三人で女子大生を犯したようだ。俺以外の二人は警察に捕まった。俺はまだだし大丈夫だとは思うが、その時の記憶がきれいに抜け落ちている。」
「周囲の目が気になる。俺が犯人と思われていないだろうか。俺は女を犯した記憶がない。不意に良心の呵責がこみ上げてくる。という夢を見た。」
「記憶を取り戻すまで夢を見続けようと思ったが無理だった。正午を過ぎていた。」
「事件は人工的に忘れられた。草。」
「死にたがりが、人を殺したがる。」
「加藤を目指すのはまだ早い。」