はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2010年1月 その3)

「幼女妊娠中絶帯」
「幼女セックス伝道師」
「いつも生まれを刺激されて困ります。」
「ま○んちゃんと受精卵をつくりたい。」
「何かに依存したい人間がよく嫉妬する。」
「いつまでも幼女に頼っていてはいけない。」
「私は下ネタで幼女を捕まえようとしたが、逃げられた。」
「幼女に逃げられたような気がする。うまく捕まえられなかった。私は浮気性だった。幼女はただ自らを望む者のみに到る。」
「幼女に逃げられてから、心持は少し楽になった。ただ幼女ほど股間を熱くしてくれるネタに出会えていない。そこは残念。」
「幼女を深追いするな。」
「私は欲ばりという近年の自己肯定。」
「生きることを避けてはならない。」
「憎悪を垂れ流しながら平等を唱えるのは精神的に負荷がかかる。」
「恋愛を賛美し非モテを罵倒する連中を目の敵にして書いてきたが、やりすぎると単なる恋愛経験者にまで火の粉が散って、不快な思いをさせかねない。勘所がなかなか難しい。」
「人生なんて短すぎて人を憎む時間がない。」
「とはいえ、戦うべき時は戦う。あくまでも冷静に。私の場合は求職において。」
「本当だったら、ここを使ってセックス自慢したいもんだが、その予定は立っておりません。」
「告発者として生涯を送るか。別の道を探すか。」
「十倍報告」
「連鎖の菌糸」
「極端な話だが、人ごとではない。」
「あまり人を責めるな。ただ言うべきことは言う。」
「松井がクリケットに転向したそうだ。」
「心の傷も転移することがある。女子に肉体を笑われたことが恋愛を否定的に思わせている。」
「外見がきっかけで恋愛できなかったという思い出はない。でも彼女もいない。外見の評価を内面化していたのだろうか。自ら肉体を変えようと思ったこともない。私はこの体と、それがもたらす状況に慣れすぎていたようだ。」
「戦うことを絶対に避けるな。私は負け犬根性が内面化されすぎている。」
荷風を女性化しようとする企画」
「童貞を前提にした行為」
「肉のつきやすい体が欲しい。」
「ブサイクに彼女がいると、妙に救いを感じる。」
「べつに正しくなくていい。あえて平等にしなくてもいい。謙虚であればいい。」
「まあ若い人には平等は勝ってから語れと言いたい。特に現代は勝者と敗者が固定化した時代だ。一度敗北したら這い上がれない。(ゆえに分断という。)だから若いうちは勝つことだけに専念しなさい。いい仕事が見つかりそうなら、迷わず入りなさい。女の子とやれるなら節度をもって、思い切ってやりなさい。これが幼女マニアからの提言だ。ただ、負けた者をけなすのは恥だ。これだけはご注意願いたい。」
「他人の幸せが見えてしまうのは仕方ない。住み分けは難しいから。でも幸せを見せられるのは明らかに違う。見せびらかしは受け取るほうもちゃんと分かります。はっきり言えば、見せびらかすことで成り立つ恋。そんなもの、恋なんかではないはず。愛に昇華されることもなく、ただのセックス自慢です。」
「婚活ですね。喪男と非処女の結婚は、やめたほうがいいですよ。何と言ってもモテと非モテは住み分けが大切ですから。」
喪男は、たとえ結婚要員として自覚があっても、どこかで自分が恋愛対象になれたと思い込みたいものだ。」
「あんだけきれいなお姉さんは、彼氏のチンポをぺろぺろしとるわい。きっとそうじゃい。ぺろぺろされたか。」
「男女の経済的格差がなければ喪男と非処女、ないし喪女と非童貞は出会うはずもない組み合わせだ。恋愛遍歴が全く異なる両者は住み分けていたほうが、互いの価値観で相手を傷つけ合わずに済む。」
非モテにとって極端化すれば、恋愛そのものが悪であり、恋愛に関わる不幸は不幸でない。また非童貞・非処女にとって恋愛は普通の営みであり、外見による性疎外やそのための屈辱感を知らない。両者の不幸は互いの無理解を誘発するだろう。しかも分断をもたらすものは外見、つまり生まれであり、互いに死ぬしか理解する契機はない。(つまり理解不可能。)」
「子育ての苦しみを聞くと、結婚のイメージが幸福に演出されすぎているように思う。」
「何度も再生産される幸福を目の当たりにする。」
「他者の生まれに対する謙虚さ。」
「美化されると息苦しい。」
共同親権を求めている団体(親子ネット関西)の代表が俺より年下だった。活動自体は男性として肯定的に捉えているが、署名しかしない。」
「ギリツナさんもそうだけど(id:niku4649。最近どうした?)、というより隣りの同級生がそうなんだが、離婚したら子供とは二度と会えない。か会う機会は極端に制限される。離婚して7年になるんだ、隣りのヤシ。9歳の男の子だって。もうずっと会ってない。(母からの又聞き。息子に会っても孫の話はしにくいと奥さん。元の娘さん、ばったり会ったら、今度遊びに来てくださいね。行けるはずもなく、孫のために贈り物。)」
「先の団体の代表さんが29歳。結婚して、しかも離婚して、もちろん修羅場がある。俺は30超えても学生気分。えらい違いや。(両者は神戸新聞の記事を通してそれぞれ発言の機会をもったが、事実認定で済むはずの離婚の経緯でさえ完全な平行線だった。9月7日の朝刊に男性の活動とコメントが、10月6日の記事では女性側の反論が掲載された。)」
「結婚が決して幸福のうちに完結するとは限らない。人それぞれに修羅場があることは当然分かっている。」
「そりゃ、お腹痛めた子供を相手に取られりゃ、奥さんはそりゃ泣くでしょや。でも、会わせることはできるでしょ。夫にとっても大切な、お腹は痛めてないけど、かけがえのない、自分の。その思いは奥さんもお分かりでしょ。子供を思う気持ちは、お互い変わらないはずです。」
「なに、その普通すぎるコメント。そんな普通さはここに相応しくない。もっと毒をまきなさい。」
「読んで面食らうようであればそれでいい。」
非モテ問題について考えると、自らの欲にこだわりが生まれる。」
「子育ては経済的行為だ。きれいごとでは済まない。」
「書くときの心構えは、欲そのものは決して非難しないということです。欲をけなすと『お前が言うな』でお終いです。私は欲ばりだから人の欲をけなしたくなる。困ったもんです。」
「体も鍛えないで恋愛に悪態をついていた自分が馬鹿らしくなった。ここだけの話だ。」
非モテ談義はしばらく休止します。」