はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

卒塔婆詩(そとばぽえむ) 第15回

マラリアに感染した友人が
リスボンから帰ってきた
胸には大きな花束をのせている
穏やかな彼の顔に私は涙した

ゴムボートで漂流して見えなくなる
日本 しかし
漂っているというより人だけがやたら多く
そのくせ話せる人が少ない
人だけは多く
やたら多く
交信できる人は少ない
だから人の海というのか
S・O・S S・O・S
今日も人の海を漂っている

男になりたいと処女に泣きついたら
お前は男としての責任を果たせるのか
父親になり子供たちを養う力はあるのかと
生々しい問いを返されむしろ感激したら
後になってイケメンの遊び人に飛びついたという
処女のリアリズム

道連れに与えた自由を後悔している

僕たちの空想を振り返って
彼女はどう思うだろうか
まだ十一歳だから
処女だから
好きなだけの妄想を
体にのせて楽しんできた僕たちのことを
許してくれるだろうか
僕たちを妄想と共に断罪することが
処女の仕事のように思えて
気が狂いそうで
早く会いたい
まいんちゃん いや
福原さん
僕たちを断罪したければここでどうぞと
断頭台の紐を手渡すように
首をうなだれて
これまでの射精を詫びる日が来るのだろうか
それとも笑って許してくれる
そういう演技をしてくれるだろうか
ぼくたちどこの幼稚園なのと聞かれたら
○○の○保育園と
正直に白状しなければならないだろうか
ボクたち射精もできるんですと
思い切って開き直ったほうがいいのだろうか

光沢を失くしたフエルトに
涙が吸い込まれ
新しい光を反射している

段ボールが雨に濡れても
晴れた日に干せばいいさと
太陽の優しさを噛み締めていた
あの人に近づいている

真っ白なビンを
埼玉某所に送り付けた
エロテロリズム

追記(6月26日):

どれだけ下手な詩でも、何らかの印象が残ればいいと思ってはいるが、なかなか上手くいかないものだ。私の詩はイメージが単調すぎる。日常生活ではなかなか気づかないものだが、詩を書くと心にある印象や私の性格がよく見えてくるからやめられないのだ。