はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

卒塔婆詩(そとばぽえむ) 第17回

(ネットで“はるのぶ”を名のる人ってどれだけいるのかしら?)

恋愛体験は問いません
かっこ男性にかぎる
だって俺
わがままなんだ
もん

月の石はもう
沈みきって離れない

三十二
僕は処女になった


また童貞の不幸自慢が始まったか


うるさい
お前こそ死ねばいいと
画面に向かって
更新を待つ

あしたは宇宙遊泳だ


ちゃんと仕事しろよ

見せかけの穴にはまって
抜け出せない振りをしていた

行き先のない船に乗り
あすもあすすも
待ちぼうけ

死ぬ前に
目覚めたい

人と向き合えば
どうでもいい
とは言えなくなる
だから
人と向き合わず
せめてもの幸せを守ろうとする


それでいいのかも知れない でも
何かを言いたい むしろ
言ってやりたい


言わなくても後悔
言っても後悔

あれは血のついたオオカミだった
薄目をあけて笑い飛ばしていた
僕は時に
小さな女の子の振りをして
やりすごす
それが可笑しくなって つい
本当の歳を明かすことが
幼女の使命だった
本当のオオカミと闘うことが
私の使命だった

特権 それは
わがままであること
子供のうちは許されること
子供であれば
許して欲しいこと


消えた特権にしがみついて
泣いていた
幼い頃

明日はどこに行けばいい
人の声の永遠にする方向へ
音のするほうへただひたすらの前進
信じられるもの
信じるに値するものを求めて
電磁空間の書きものに埋もれる
人のするほうへ人のするほうへ
埋め合わせる試みに疲れ
無数の人影を感じながら
無数の交叉の真ん中に座る
身体から遠ざかってゆく空間に
心からの意志を持ち直して
ただ静かに電柱の鳥の声がする

三十二歳の下ネタは
真冬のように溶けのこり
固い根雪となって
いつも空を見上げている


この広い電磁空間に
検索されて 生き残り
多くの書きもののなかで
いくつもの画面を見上げている

後記:

そろそろ性的なネタを止めようと思う。ずりネタ報告は続けるだろうが、場を区別する。最近は下ネタに甘えすぎていた。点数は多くなるが、出来上がるイメージは明らかに単調なものだ。音律に偏りすぎるのも良くない。つまらないものでもリズムに乗っていればいいと勘違いしてしまう。詩を書き始めてもうすぐ3か月だ。本欄を「卒塔婆詩(そとばぽえむ)」から「詩のノート」に改題することにした。追悼の思いを込めようとしたが、方向性が明らかに変わってきたからだ。当たり前だが、何人かの方がすでに「詩のノート」を冠しておられる。私もその一人に加えさせて頂こうと思う。