はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2012年7月24日)

「嘘なら要らない。」
「生まれて初めての人生だ。」
「弌タス弌はソラのように途切れない。」
「ええ、ミイラ取りがミイラになりましたとも。」
「私も欲に塗れた蛆虫だったわけだ。よく革命などと口走ったものだ。」
「不思議なもので、彼女が夢に出てきたことは一度もない。」
「『王と妃』を見ていると、“オモニ”という言葉が義母の心に愛情と義務感を同時に抱かせているのが分かる。効果的だ。粋殯が大王大妃に使っている。」
「あたかも、これから臨終が始まるかのような報道をしている。」
「ここにいると、世間と価値観の狭さに息が詰まる。家から出ていく動機を得るという意味では、早くここに来るべきだった。父が死んでからずっと来るのを躊躇っていたのだ。」
「悪魔に魂を預ける寸前の心境である。」
「乱数表を取ってこい。私が暗号を書いてやる。」
「詩と政治とが密接に結び付いていた運動が全共闘であり、大学紛争だ。」
「批判的平面においては、あらゆる思考が批判としての形式をなし、その実質は常に創造である。なぜなら、真の批判は認識されざる価値を発掘し想起させるからである。」
「判断は、価値の捨象としての機能を伴う。批判とは捨象された価値の総括である。」
「相手の言いたいことを聞けばいい。」
「私は親の愛を歪に受けるとこうなるという人間の見本だ。」
「暴言吐きとしても知られている。普段は素を出さないよう過剰に外面を作っている。非正規は社員と共有できるものが極端に少ないから、笑って誤魔化すしかない。」
「そして愛想笑いが思わせ振りに。」
「どう考えても好きになる相手を間違えた。俺は情け深い女が好きなようだ。」
「私、何回か怒られて、その度に反省しない。」
「人にはそれぞれストーリーがあるわけだ。それを注意ぶかく読み取るわけだ。」
「仕事の帰り、自動販売機に硬貨を入れてボタンが赤く光るのを普段は待つまでもないが、今日はずっと付かないでいる。おかしいなと思い不満げに自販機を睨んだら、表示が十円だった。南無三。」
「三島が死んだとき、あなたは何歳でしたか。生まれてませんよね。歴史は生まれる前から始まっているのです。」
「思い切って主導権を渡したらいい。こちらの希望だけは伝えて。」
「時代が移り変わる悲しみは、より良い現在を獲得できたかも知れない機会を失ってしまったことにある。」
「メモの用意をと言うから急いでメモを手にしたけど、ペンが見当たらなくて・・・」
「母親を奪われた悔しさに満ちている。」
「ソトニワ、アカルイソラガアツテ。」
「セツクスノアトノ、ランド、セル。」
「日本は世界で最も遠い国だから幻想を持ちやすく、それゆえ西洋人のオリエンタリズムの対象になりえた。日本人が日本の美しさを殊更に褒めるのは、日本人にとってさえ日本が遠いからだろう。」
「十九世紀の西洋人が往々にして自他に向けた視線を、日本人は西洋やアジア諸国、そして自国にたいして抱いてきた。それは帝国主義コンプレックスと言っていいものだ。司馬さんのいう『この国』には、そのようなコンプレックスから解放されようという視座があるのではないか。」
「赤は直感を刺激した言葉、青は知識として覚えておきたい言葉、緑は意義深いと思った言葉。私は『新潮国語辞典』をそのように色分けしながら読んでいる。気になった言葉は基本、赤線を引いている。青線を引くのは漢語が多い。知識として知っておいたほうがいいと思う言葉である。」
「戦うことに意義があるのは本当にオリンピックだけかも知れない。」
「親しさとは、沈黙し合える関係だ。」
「普段立つはずのないものとは何ですか?レッサーパンダですか?それとも、人民ですか?私は反原発という無茶なスローガンは何とも思いません。しかし反原発デモは素晴らしいものです。ニューヨークの反格差デモと同じように自然消滅するでしょうが、参加者や私のような支持者はこの大きなうねりの中に、自らの人民としての自信を感じるのです。人民は世界を変えられるのだと、反原発デモは思わせてくれます。」
「私は人民である以外の何者でもない人間です。」
「私は彼女から逃げないことにした。」
「死んだら気づいてくれると思っているのもリストカットをする心理的動機だろう。」
「うなぎの蒲焼が1300円。食べたい。食べたい。偉くなりたい。」
日商一級の合格までニースズの生放送を断つと公言した手前、見たい気持ちをがまんしているが、彼がセンターのバイトを続けているか時折気にしている。(だからたまにブログを覗く。書いていることが断片的で状況が掴みにくいが。断片的なのは私も同じか。)」
「早朝。また猫の死骸。道の真ん中で息絶えていた。尻尾を引っ張り路肩に寄せる。尻尾が生暖かった。賑やかな通りなので誰かが通報してくれるだろうとそのまま去る。案の定、夕方にはすでに引き取られていた。7月23日。」