はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

私は、簡単に言いくるめられそうな男だ ほか

・私は、簡単に言いくるめられそうな男だ

 最近は大衆食堂で昼食を取っている。四十人ほどのキャパはあるが客はいつも二三人しかいない。
 注文を取るのは七十代後半ほどのおばあさんである。この人は耳が遠い。先日焼き飯を頼んだら、「えっ、焼そば?」と大声で返された。私はさっきより声を大きくして「焼き飯お願いします」と答えた。
 すると彼女は大声で、「焼き飯だけ?」と聞く。私はとっさに「豚汁もお願いします。」と言った。一杯二百円。もともと頼むつもりはなかった。
 その日の昼代は合わせて七百円。会社で弁当(五百円)を頼んだほうがまだ安い。今日はとんだ出費になった。そう反省すると、不意に彼女とのやり取りが思い出された。
 あれは彼女の十八番だったのではないか。一品しか頼まない客に他の料理も勧める。気の弱い客ならつい頼む気のない小品も言ってしまうだろう。焼き飯と聞いてから間がなかった。私は軽いジャブでノックアウトされたのだ。
 そう思うと、改めて私は圧力に弱い男だと苦笑いしてしまった。

・童顔のせいですかね?

 会社の正社員がもうすぐ四十歳になる。彼は週末にテニスを楽しみ、昼休みはトレーニング室で肉体づくりに励んでいる。
 スポーツをしているせいか、彼は実年鈴より十歳は若く見える。そのことを母に話すと、あんたなんかスポーツしてないけど若く見えるやんかと言われた。
 童顔のことだろうか。これのせいで年相応の貫禄がなく内心嫌に思うことがある。余計なお世話だと軽く母に言い、安室奈美恵は生年月日が近いが見た目が若いだろうと言った。
 母の答えは簡単だった。だって彼女は踊ってるでしょと。あれ?それ私が言った理屈じゃなかったっけ?結局、何故私が若く見えるのか、母なりの答えは分からず仕舞いだった。

・人見知りの男が美容院に行くと

 私は極度の人見知りである。すれ違いの挨拶は出来るようになったが、前触れもなくバッタリ出くわしたときは、挨拶もなしに場を立ち去ってしまう。
 当然、人と会話を交わすことが苦手で、挨拶以外に出来ることは愛想笑いしかない。おかげで機転の利かない男と思われているだろう。女性とは仕事の話しか出来ず、他に聞きたいことがあっても言いだせずにいる恥ずかしがり屋だ。
 その私が地元の美容院に行っている。居候先の叔母の馴染みの店で、私には似合いそうもない所謂オサレ系の店だ。住まわせてもらっている分逆らうことはできず、言われるがままこの店に行っている。
 私の担当は年下の店長である。彼はオーナーから店を任されている。店のフリーペーパーも彼のアイデアで生まれたものだ。お洒落に縁遠かった私でさえ、彼にセンスの良さを感じている。といっても、私は髪を揃えてもらうだけだが。
 人見知りは間が辛い。だから自分から話すようにはしている。親しい間柄でもないので、少しでも間が出来ると不安になる。(親しさとは沈黙し合える関係だと思う。)傍から見ればよく話す男だと思われているだろう。その本質は無口である。
 この間店に行くと、明らかに知った人の声がする。前の職場で一緒だった人だ。彼女は十年来の常連だと聞いたことがある。いつか場を共にすることもあるだろうと思っていたが、いざそうなると気まずいものだ。幸い彼女は私に気づいていない。私は黙って椅子に座り、店長との会話も小声で、話題が途切れてもあえて続けようとはしなかった。
 私は彼女より先に終わった。勘定も静かに済ませ、店長の見送りに会釈をするとそそくさと店を後にした。彼女に気づかれていないことを祈りながら。

・喧嘩するほど仲がいいということか?

 今日は父親の命日である。亡くなって八年。二十代だった私もすでに、三十代の半ばに入ろうとしている。母親の出所に移住して、今日で二度目の命日を迎えた。
 私の両親は中年になってよく喧嘩をするようになった。大声で言い合っては二週間ほど口を聞かない。私は食事を済ませるとそそくさと部屋に戻り、二人の無口に神経をすり減らしていた。
 私が高校時代から結婚を望まなくなったのは、両親の影響である。恋愛で結ばれた二人でも結婚生活が長くなると愛情は薄れてゆくのだろう。目の前の二人と同じ道を進みたいという思いは当然のように抱かなくなっていた。
 父が突然亡くなった。それからというもの母は憔悴の日が続いた。早く迎えに来てほしいと言い、生まれ変わっても夫婦になりたいと願っていた。仏壇にはいつまでも一緒ですと書いたメモまで置いている。悲しみは日薬で治るという言葉を信じ、何とか精神の安定を取り戻した。
 あれだけ喧嘩をして、息子の情緒にどれだけ悪影響を与えたと思っているのだろうか。母にそう咎めたい気持ちはあるが、夫を想う母の姿に救われるものはあった。そして、二十歳の頃はあれだけ毛嫌いしていた結婚も実は良いものかもしれないと思うようになった。恨みは独身を前提にした人生設計を両親に誘導されたことだ。
 今日は仏壇に父が好きだったお菓子を置いた。横に供えたビールとともに、母が今日のためにと買ってきたものである。