はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

(メモ)韓国ドラマ「王と妃」他より(2012年7月28日)

「今回も韓流ドラマからの引用集。歴史ドラマは群像を明確に書き分けており見応えがある。」
「『死んで この身が消え
百度も死を繰り返し
骨が土と化して
魂が抜け落ちようとも
我が誓いし王への忠義は
永遠に消えまじ』
(『龍の涙』第七話 チョン・モンジュ暗殺の場面で)」
「『負ければ逆賊なのだ。聡明すぎるのが災いしたのさ。』(ハン・ミョンフェ『王と妃』より)」
「『(仁粋王妃を摂政にすれば)殺戮が起きかねません。仁粋王妃様は、剣の刃を握っていても、微動だにせぬお方です。剣の刃を握れば血が出るものです。それを知らぬ者などおりません。ですが仁粋王妃様は剣の柄ではなく、刃を握って生きてきた方です。まだ幼少の殿下は、鋭い剣ともなり得るのです。大王大妃様、どうかお考え直し下さい。』(仁粋王妃登場)『うまいことを言いますね。私は、ハン大監の握っている剣の刃を掴んでいます。』(ハン・ミョンフェと仁粋王妃『王と妃』より)」
「『恥ずかしながら、我が娘は淑やかとは言えません。度量の広い方でないとすぐに愛想を尽かされましょう。』(首陽大君『王女の男』より)」
「『シン・スクチュか。』『集賢殿でも竹を割ったような性格で有名でした。』『竹は折れにくいが、中はカラだ。』(首陽大君『王女の男』より)」
「『殿下、恐れながら、一生の伴侶は天が決めてくださるそうです。』『母上に逆らえというのか。私は幼子と変わりない。母上の前では物も言えぬ赤ん坊のようだ。』(キム・チョソンと成宗『王と妃』より)」
「『急ぐことはありません。熟した柿が自然に落ちるように、万事なるようになるものです。』(仁粋大妃『王と妃』より)」
「『(仁粋大妃に)胸のうちを見透かされているようで、気が気でなかったわ。』(慈聖大王大妃『王と妃』より)」
「『ホ・ジョンは高麗の侍中ホ・ゴンの子孫だ。のちに成宗が王妃を廃そうとした時、異義を唱える者はいなかった。だがホ・ジョンだけは中国皇帝の故事を例に挙げ、廃位が妥当でないことを力説。王を押しとどめたという。それほど彼は剛直で思慮深い人物だった。ソン・イム。字は重卿で知中枢府事ソン・ヨンジョの子だ。おおらかな性格で、流麗な文体を誇るが、多少軽薄な人物だった。ホ・ジョンがソンを見下す態度を取るのは、万事いい加減な彼の性格を快く思っていなかったからだ。チェ・スは聡明かつ温和で人々の仲を取り持つのが得意であった。チョン・ナンジョン。字は国馨、号は虚白堂であり、晋州牧使チョン・サの子である。チョンは達筆で文武両道に秀でており、端正な顔立ちだったという。徳璋は左副承旨ヒョン・ソッキュの字だ。昌原出身で左参賛ヒョン・ヒョセンの子だ。成宗の信任が厚く、都承旨を経て大司憲の座に就き、勲旧大臣らの排除を図る改革派の中心人物だった。』(『王と妃』130話より)」
「『世祖の一人娘、明淑姫はホン・サンに嫁いだ。ホン・ウンはその父親で、ユン氏とは姻戚である。字は応之であり、高麗の侍中、ホン・ジャホンの子孫だ。世祖がクォン・ラムに君子の名を挙げろと言うと、ホンに勝る君子はいないとクォンは答えたそうだ。史官の記録によるとホンは純朴かつ誠実、そして清廉潔白であり職の斡旋を頼む者はいなかったそうだ。』(『王と妃』130話より)」
「『大王大妃様、上から下に流れる水を止めることはできぬものです。』『それは摂政をやめろということですか?』『府院君は一を知りても二は知らぬようですね。摂政を降りても水は殿下の方に流れぬはず。大妃様が政に干渉なさるのを警戒せねばなりません。』(ホン・サンと慈聖大王大妃ユン氏、キム・スオン『王と妃』より)」
「『(夫・世祖に)あなた。木に生まれ変わるのでは?木なら風を遮ってくれるはず。なぜ守ってくださらぬのですか。あなた。』(慈聖大王大妃『王と妃』)」
「『王妃のことが思い出されるな。』『恐れながら殿下、恭恵王后様のことでしょうか。』『苦労が絶えなかったろうな。実家にいた時も宮中に入った後も、母上の目があり優しくしてやれなかった。私のせいで苦労ばかり・・・ しかもハンの娘だったからな。』『ハン大監はいまだ大妃様に疎まれておられます。』『私が即位できたのはハンのお陰だ。なぜ二人は仲たがいを・・・』『まもなく殿下は親政なさることになります。お二人は徐々に歩み寄られるでしょう。』『新たに王妃を迎えるつもりはない。恭恵王后に申し訳が立たん。』『恐れながら殿下、王妃の座を空けておけぬものです。』『チョン貴人を始め誰にも情が湧かぬ。側室と向かい合っていると、王妃の顔が思い浮かび、思わず涙が込み上げてくるのだ。』『ユン淑儀様とご一緒の時は心が和まれるのでは?』『ユン淑儀は親しみやすいのだ。彼女といると童心に戻れる。』(成宗とキム・チョソン『王と妃』より)」