はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

(メモ)韓国ドラマ「王と妃」より(2012年9月22日)

「今回も『王と妃』から。燕山君と斉安大君、そして柳子光。ひれくれ者が三人集まってついに戌午士禍が始まる。」
「伯母上。風が冷たくてやけに涙が出ます。泣いてはいません。私は一日も安眠できません。宮殿は人間の住む所ではないのです。去勢された内官と結婚すらできぬ女官で埋め尽くされています。宮殿の至る所からうめき声が聞こえてきます。平穏な場所などないのです。安眠などできません。怨霊がうごめいている宮殿で枕を高くして眠れますか。私は闇とともに消える影のような存在です。ある日急に消えても、誰も探してくれません。伯母上。案じてくれるのは伯母上だけです。私は天から落ちた持て余し者です。地から生まれた卑しい人間です。私の即位を望む者がいますか。死者だけです。」(燕山君『王と妃』より)
「この世の中が嘆きと悲しみに覆われています。それでは終わりません。私の息子は希代の聖君でしたので、この世のすべての者が慟哭し涙の海になるでしょう。お義父様がこの世を血の涙で満たし手に入れた王位です。弟たちの血と甥の涙が染みついた王位ではないですか。その罪滅ぼしをしたのは私の息子です。二十五年間善政を施したのですから民に平穏な暮らしを与えることで祖父である世祖の悪業を洗い流したのです。そのような大事な王位を廃妃の息子に譲ってなるものですか。そうはさせません。私の目の黒いうちは廃妃の息子を王にさせはしません。殿下が逝去したということを知ったら墓の中で踊り出しかねぬ。世子が即位したら復讐するのでしょう?きっと嬉しくて墓の中で小踊りしているわね。踊ればいいわ。でも思い通りにはさせない。」(仁粋大妃『王と妃』より)
「(燕山君は祖母・仁粋大妃に挨拶に訪れたが迎えがなく立ち尽くしている。)『ジャウォン。あの雲は何に似ていると思う?』『どの雲でしょうか。』『ふわりふわりと漂う様は女の着物のすそのようだな。』『確かにそうですね。』『女の振り乱した髪にも見える。』『本当にそうですね。』『からかう気か。少しは自分の意見を言え。』『雲の形は変わるのでどのようにも見えます。』『(燕山君大いに笑う。)お祖母様の気まぐれには変わってやまぬ雲にも負ける。帰ろう。』(燕山君とキム・ジャウォン『王と妃』より)」
「私は余分な枝です。茂りすぎた脇枝は切り落とされるのが世の常。」(斉安大君『王と妃』より)
「十年以上、王妃様は草むらで横たわっておられます。お墓を移しただけでお恨みが晴れると思いますか。王妃様を死なせた者を残らず明らかにし、殺すべきです。八つ裂きにした上、さらし首にしても足りぬほどです。そのくらいせねば無念は晴れません。王妃様の恨みはそれほど深いのです。」(廃妃ユン氏の母『王と妃』より)
「あいつらは反対しかしない奴らだ。何か起きる度に真夏の蛙のように礼だの道理だのと空念仏ばかり唱える連中だ。世祖の功績の中で特に優れたものが一つだけある。集賢殿を廃止したことだ。」(柳子光『王と妃』より)
「隙を見せてはなりません。権力とは水のようなものです。丈夫に器に入っている時はよいのですが、ひとたび割れ目を見つけて流れ出すとどんどん流れなくなってしまいます。」(仁粋大妃『王と妃』より)
「民に迷惑をかけたくない。道端で民が震えながらひれ伏すのを見ると、私の方が恐縮してかなわん。国王と言える日が来たら輿に乗るとする。私の母は罪人だ。母が罪人のままでは輿に乗る資格などない。」(燕山君『王と妃』より)
「(月山大君夫人パク氏に)母上はどんな方でしたか。承政院の日記には極悪な人間だと書かれていました。だから毒を飲まされたのですね。年配の尚宮に尋ねたら、実に美しい方だったと言っていました。背もとても高く目つきは鋭いけれど、笑顔になると温かみの漂う方だったと。そんな方が本当に君主の顔に爪痕を残すほど乱暴なことをしたのでしょうか。私には信じられません。」(燕山君『王と妃』より)
「『謀反なのか。(柳子光は無言のまま。)謀反なのか答えよ。』『左様です。殿下。』『そなたの評判はかねがね聞いておる。ナム・イやヒョン・ソッキュを陥れたほど能弁だそうだな。(柳子光は答えない。)ここへ来る時に上を見たら、夜空に怨霊がうごめいていた。宮殿で殺され、怨霊になった者は大勢いる。いや、怨霊ではなく悪鬼だ。その悪鬼たちの吐く呪いが夜空に浮かぶ星々よりも私の心を強く動かした。その悪鬼の中には私の母もおられる。寝ている時も目覚めていても、母が泣き叫ぶ声が聞こえる。母こそ謀反の犠牲者だ。』『殿下。私は堂上官にまでなれて願いが叶いましたが、まだ一つ心残りがあります。廃妃様の件を・・・』『廃妃と言うな。私が王になったのにまだ廃妃と呼ぶ気か。』(ここでいったん場面が変わり、それが終わると再び告発の場面に。)『世祖が徳宗の側室に手をつけたと書いたのか。』『左様でございます。』『キム・イルソンの奴め。なぜキムはそんなでっち上げを?』『彼らキム・ジョンジクの弟子たちは世祖が集賢殿を廃し、ソン・サンムンらを殺したことを恨んでいました。彼らは実録庁で働く機会を得たため、世祖は非道だと偽りの草稿を書きました。ソン・サンムンらを無実に見せかけ、さらには逆賊ではなく忠臣だったと思わせるのが目的です。』『ソンが忠臣だとしたら、世祖はどうなるのだ。』『文宗のご子息の魯山君は若年だったため、奸臣がのさばったのです。それで魯山君は世祖に自ら王位を譲りました。しかしソンらは世祖が王位をさん奪したと言い広め、魯山君の復位を口実に世祖を殺そうとして発覚し、死刑になりました。そして儒者も失権したのです。』『キムらは世祖が王位をさん奪したと書いたのか?』『話によると、キム・ジョンジクの文が草稿に含まれており、その内容が極めて不遜だそうです。』『キム・ジョンジクは成宗の忠臣では?』『左様です、殿下。』『なぜ、そんな男が世祖をそしる文を書いた?』『キム・ジョンジクはある日夢を見たのです。その夢に現れた人物が“私は楚の懐王・義帝で、西楚の覇王・項羽に殺された”と言ったそうです。そこで書いた義帝への弔文が「弔義帝文」と呼ばれています。これはまさに楚の義帝を魯山君に例え、西楚の項羽を世祖になぞらえたものです。つまり世祖は魯山君を殺し、王位を奪ったという比喩です。』『(内官に)草稿を持ってこい。自分の目で確かめて処罰する。』(燕山君と柳子光『王と妃』より)」
「これも王の務めですから。奴らが何と書いたのか読みたいのです。父の「実録」ゆえ母の記録もあるでしょう。世祖を項羽に例えた奴らが母を殺した大王大妃のことを慈悲深いと書きますか?違うでしょう。義父上、やっと王になった気分です。書いてあるでしょうね。汚名を着せられて死んだと。」(燕山君『王と妃』より)
「強風が吹きそうです。せいせいするでしょうね。」(斉安大君『王と妃』より)