はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2013年2月3日)

「恋愛禁止ってルールが純愛まで禁止しているかどうかは意見が分かれるかも知れないよ。でも峯岸みなみさんの行為がただのお遊びだったとすれば潔く退学すればいいと思うね。」
「つまり結婚も視野に入れたお付き合いなのかってことだよ。どういう関係だったのか聞きたいわけで、そこを曖昧にしたまま三枚刈りにされても単なるはぐらかしにしか映らないわな。」
「彼女にとってあの記事でショックだったのは、彼が高校時代から有名なチャラ男だったことじゃないか。自分一筋と信じたがるじゃん。女の子って。それがチャランだからな。分かりやすいあだ名だよ。」
「彼女は泣きながら怒っていた。どこが反省なんだ。あの坊主頭は開き直りだよな。私にここまでさせたのはファンですよって。当て付けだ。いじめられ役を買ったのは同情を集めてコアなオタク(イコール喪男)の先手を打つためだろうな。一種の焦土作戦だ。あれで彼女への非難はしづらくなった。同情を盾に脱退を避ける狙いがあったのだろう。ファンの意見を二分してコアな層を孤立させたいのかな。恋愛禁止のルールを立てたのはファンだよな。秋元さんはその空気を敏感に感じ取ったわけで。」
「恋することはいけないことかってね。いけないことじゃないよ。でもアイドルとは両立できないよって言いたいね。恋愛は止められないよ。喪男にとっては不愉快なことでもね。でもアイドルはこっちを向くのが約束だから。嘘は駄目だよ。潔く辞めたらいい。だって彼女はルールを破っただけでなく、ルールそのものを暗に否定したわけだし、ルールを支持するファンと彼らの心の傷を嘲笑ったんだから。自分のステップアップのために仕方なくアイドルをやってるんだろ。ふざけるなって思うよ。アイドルをそんな軽い気持ちでやってほしくはないね。」
「そりゃ喪男だって峯岸さんを叩いてる暇があれば、彼女を見つける努力をしたほうが健全だし精神衛生的にもいいよね。でもそれと峯岸さんのプロ意識を問うこととは矛盾しないよ。まあ、彼女ができたら峯岸さんの気持ちが分かって主張が鈍るだろうけど。逆に恋愛とアイドルは両立できないと確信するかも知れない。だって恋愛はたった一人しか見つめられないからさ。その中にファンはいないだろ。両立できてないじゃん。アイドルは歌って踊れればいいってもんじゃないんだから。恋愛を知ったから気持ちは分かるようになったけど、君はアイドル失格だよとはっきり言えるようになるかもな。」
「踊りや歌の上手さよりも大切なものがあるという意味でアイドルはダンサーや歌手とは決定的に異なっているわけだよ。アイドルは喪男あっての存在なんだから。引退するまでは恋愛を控えてね。でも恋はいつ訪れるか分からないじゃん。それは仕方がないけど潔くしてほしい。むしろ潔く辞めることでアイドルの魂をちゃんと理解していたと認めてもらえるわけだ。恋は仕方がないけどね。」
「持続可能な制度という場合の政策資源は人材と財源だ。」
「思想の表明としての言葉と、ビジネスで手段化される言葉とは本質において異なる。」
「このまま朽ちて堪るか。」
「貧困から抜け出すためには貧困について考えてはならない。逆説的だが、ブラックな日常はブラックな世界を覗いても昇華されることはない。むしろブラックな世界に自らを埋没させることになる。貧困問題や生活保護をめぐる本を読むことは私にとって当事者としての自覚を高めることだ。プレカリアートとしての自己を認識し、社会に対峙するためのロゴスを獲得することである。しかしそれは私がここから逃げ出す余地を自ら閉ざすことになりかねない。たとえ絶望的であろうとも、貧困から抜け出すための方策を全てなし尽くすことが生き抜くためには必要であり、万策尽きてはじめて“本物の”当事者としての論理を獲得する段階になるのではないか。生きさせろと言うにはまだ早いのだ。やれるだけのことはやらなければならない。社会との対峙を全うしたうえではじめて言葉は存在に裏打ちされるはずだ。今の私はまだ貧困層とは言えない。言わば予備軍に過ぎない。その不安定性が私を当事者に近づけさせ、一方で当事者から距離を取らせるのだ。貧困への不安から抜け出すためには当事者のロゴスではなく(それは不安定な立場にある者にとってアイデンティティーを確かなものにする)不安定な境遇への自覚こそが必要だと思う。もちろんこれは言語化には向いていないが。」
「自分の立ち位置を考えさせる話が多いね。峯岸さんの開き直り動画(あれは丸刈りという形で先手を打っただけだ。脱退を避けるために。)といい、生活保護水準の引き下げといい、社会的な序列の下に置かれた者の尊厳や生存を脅かす話が定期的に発生してはアイデンティティーを刺激する。峯岸さんの問題では改めて喪男と恋愛の関係を考えさせられた。生活保護水準の引き下げでは再び非正規労働者としての自覚を呼び起こした。これらの問題は自己を境遇の深みにさらう危険性がある。考えれば考えるほどより喪男らしくなり、貧困にはまってゆくようで怖いのだ。まさに危うきに近づかずだ。確かに彼女の誠意のなさ(計算高さ)には腹が立った。あれは喪男の心を逆撫でにしたからだ。貧困や非正規労働者への社会の無理解にも怒りが増している。しかし怒りに任せると深みにはまるだろう。だから深みにはまらないように、そしてここから抜け出すように、怒りを何かに転化しなければならない。怒りは尊厳から生まれる。怒りは尊厳の感情的表現である。だから怒りは語られざる言葉である。それを的確に言葉にすること。これこそが絶望しきらずに生きる方法だ。社会の序列を自己に内面化しないための防御策である。」