はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2013年4月13日)

「今日を生きたければ、明日のことを考えるしかない。」
「経済の知識はこの戦場を生きるための基本的な素養なわけで、俺のセカイと関係ないやと思いこんでも惑星はまわりつづける。」
「『声』は現代の季語だと思う。いつまでも届かないからオールシーズンだ。」
「『帰れま10』はファミレスで大食いしてるだけの簡単な作りだ。企業の広告と番組の宣伝を同時にできるからネタには困らない。」
「編集して笑っているところだけつなげたらリア充に見えますな。」
「反ヘイトスピーチ運動の最終的な目標は人権擁護法の実現にあるのではないか。下火になった運動を反ヘイトスピーチという集結軸で勢いづけようとしている。」
「嫉妬するまえに消えてしまいそうな人にメディアに慣れたわたしたちは何をかんじるのか。」
「枕元に知らない男がいても私は神であることをやめないだろう。」
「そこは言葉の侵略を許してはならない。」
「アダルトビデオのカタルシスは女性との一体感だ。あるいは性交のリアリティーである。」
「童貞には楽園が必要だ。」
「寂しさを紛らわせるために誰かを憎むのなら、はやく自分のことを考えたほうがいい。分かりやすい集団に惑わされることなく。」
「評論そのものが物語化(世界の偶像化=美化)している場合、世界は価値や規範として認識され、世界それじたいではなくなる。」
「“世界の早さ”が認識や評論のそれを追越し、思考はより単純な枠組みに取って代わられるだろう。つまり世界が人間の素朴な感情や自意識、心理と一体的に認識されざるを得なくなる。セカイ系の世界観は単純化する世界に対応したものと言える。」
「世界が変わってるのに制度がそのままだから矛盾が生じる。」
「私の喪男アイデンティティーが誤認だった可能性もある。中学時代の傷を過大に捉えていたのかも知れない。」
「また、身体の差異と経済的なそれとは分けて考えなければならない。フリーターとしての敗北を身体のコンプレックスと同視し自らを貶めてはならない。」
「模倣がオリジナルを超えることは許されるか?人形が人間を超えることは危険か?我々はロボットを導入することで居ながらにして新大陸に到達するかも知れない。人間がロボットに嫉妬するということはあるか?ロボットは民主的に統制されうるか?」
「女教師の年齢を昨年追い越してしまった。しかし抜いている時は当時の彼女のまま、私も高校生のままである。」
「セカイを狭くすることで偽りの全能感に浸るわけだが、実際に世界そのものが単純化している。」
「加藤智大はネタという形でベタを吐露したのだ。私は掲示板の発言はベタの範囲内だと思っている。」
「コミュニケーションへの丸投げはもちろん自己責任論を含んでいる。成果の有無として現れる社会的な格差の原因が“コミュニケーション力”という個人的なスキルに矮小化されて表面的に理解されるからだ。」
「昨今のコミュニケーション至上主義は、『女が欲しければナンパしろ』『男なら外に出ろ』とどう違うというのだ。新手のマチズモではないのか。」
アウシュビッツ【歴史の道具化】ユダヤ人団体の聖地」
「身体の差異を涙で解決しようなんてバカらしい。」
「なるべく社会に丸投げするな。だが我々は社会の不合理性を覆すための土台として社会を必要としているのだ。我々は社会を放棄して生きることはできない。」
「蟻を捕まえた/触角を抜いた/蝶々がいた」
「あんな奇蹟、気づかなよかった。」
「何もしていないと言われるのが悔しい。」
「ワイドショーは時間の無駄だから見ない。芸能ニュースも同様に見ない。サンジャポはみな実アナ目当てだったが、最近はどうでもよくなった。そうやって時間の無駄を省く。」
「あと、2ちゃんには書き込まない。あんまりに腹が立つネガキャンに反発したくなったのだ。スルー力がないと思い知ったよ。」
「さっき地震があった。かなり大きめだったが(5強)、阪神大震災に比べれば問題のないレベル。とはいえ、積んでた本が雪崩になった。仏壇の位牌も中で倒れていた。」
「大きな災害があっても社会は何も変わらないという現実を東日本大震災で再確認した。(こう書いている最中も軽い余震。)津波で流されても同情や涙を誘うだけだ。流されてたまるか。」
「社会が不合理さを残したまま再生することを容認する論理が復興という言葉にはある。復興によって社会の不合理さが強化されさえする。震災は社会を流動化させるには余りに表面的な現象であり、社会の深部を揺さ振るほどの力を持ってはいない。」
「さっきからヘリの音がやかましい。報道によって伝わるものがあると信じているからこそ耐えられているが、ガラスがピリピリ揺れるのは敏感になった神経には触るものがある。」
阪神も東日本も忘れられたし見殺しにもされた。災害は社会を一時的に縮小させるだけで、むしろその圏内から放り出された者達に社会は必要な絆を平気で断ち切る。だからこそ挫けてはならないのだ。社会の底辺に生きる者もそうだ。見殺しにされてたまるか。挫けてなるものか。」