はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

2008-01-27から1日間の記事一覧

自分で言うのもなんだがこのブログ、

喪男の香りがする。

もちろん私は二次元至上主義者です。

今でも。 しかし、昨年の中盤あたりから二次元のオニャノコに 萌えなくなりました。萌え尽きました。 私は二次元のオニャノコに萌える能力を失いました。 オタクの皆さん、こういうことが実際にあります。 好きだった作品を読み返す「二次元リハビリ」を や…

利を以て愛と為さず。

利を以て愛を語らず。 「利」=「カオ」「カネ」 結局は「利」や性格を含めて自分に合う人に出会うことが 恋愛の成就なのだろうが、その「合い」に「愛」の字を 充てることに心寒いものを感じる。 三次元に罵られた者は、 三次元の虚説を引ん剥けばいいと思…

死の誘惑に駆られると、

なかなか生きることが難しくなる。 だがここで「私はまだ生きる余地のある人間だ」と 思うことが死なないために大切なことだと思う。 無知の代償を自殺で払いたくはないから。 漏れは死にたくなったとき、ひたすら 「天才てれびくん」に出てくる少女を見つめ…

人間はいかにしようとも「死」を商品として

製造することができないことだけは知っている。「死」が人間の「商品化=記号化」を免れていることだけは知っている。だから人は本能的に自殺に憧れる。 脱記号化としての自殺において人間は、商品化を免れた「生」そのものを生きることが可能であるかも知れ…

「鳩山法相の鼻唄」

♪ビンラディンは 生きているんだ 友達なんだ♪

「キモイ」という言葉が流布されるようになったのは、

私の記憶が正しければ1997年だった。 「稲妻ロンドンハーツ」において一部の男性を指して 馬鹿にする際に当てられたのがこの「キモイ」だった。 ちょうどその頃に「イケてる」という言葉も 同時的に製造され、男性の容姿もまた 二極視されるようになった。

純潔を尊ぶ者を、喪男もまた尊ぶ。

喪男が処女の純潔性にあこがれるのは、 おそらく自らに対等な相手を求めたいからだと思う。 喪男も「処女」なのだから。 マグダラのマリアの純潔さにあこがれる。 彼女こそ非処女の処女である。 (非処女萌えが実は処女萌えである件)

見せびらかすための「幸せ」など、

滅びるに決まっている。 おのれの「幸せ」を自慢したがる方は用心したほうがいい。 本当に謙虚なのか、 それとも謙虚を装った顕示か。

我われ喪男に「キモイ」と悪罵を連発しておいて、

恋愛資本主義の矛盾を突かれたら急にフェミニスト振る。 だが喪男の性が抑圧され続ける事実は決して動じ得ない。 喪男として、権利の名で語られる排除を 権利と称することを私は拒否する。 喪男は「権利」に痛めつけられてきた。私は、 捨象され続けた喪男(…

般若心経を全て諳んじられるようになったんだが、

それだけで私の業が無くなるわけでも、 空の悟りが開けたわけでもない。 ただ、あまりにも私の嫉妬が深すぎるように思えたので 「般若心経講義」(高神昇覚著、昭和27年)を参考に 読音とかんたんな意味だけだがぜんぶ覚えた。 まだ煩悩も積みきっていないの…