はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2010年1月 その8)

「死のチャンスは公平であるべきだ。」
「敵は私を生かさない。自分で自分を生かすしかない。」
「カネをドブに捨てろ。命という言葉でごまかしてやるさ。」
「仕向けられた死を自ら受け入れる人間が現れれば、全ては解決するそうだ。」
「人の命を守らなければ自分も死ぬ。そう思っているからこそ生命の尊重を語る。」
「べつに気持ちを込めなくていい。生命の制度的な保障を支持し維持させるだけでいい。私も世話になる可能性が高いから。」
「使えない人間でも生命を保障しなければならない。だからあまり罵倒しないほうがいい。雇わないことで不利益を被るのは納税者だ。それを分かってフリーターを馬鹿にしておられるだろうか。」
「就職に不利な人間を企業の恣意に任せ続けることはできない。」
「雇いたくないならその人間の生活を保障するのが企業の社会的責任だ。」
「政策立案者は人が生きることを前提に政策を立てる。税負担を避けるため、できる限り労働の機会を設ける。但し労働機会を設けるために立ち上げた事業や人材不足の業種に、労働者の雇用と待遇を継続的に保障しうるだけの収益力がそもそもあるのか、という問題は残る。」
「一方で、失業者には十分な職業訓練の機会を設ける。安易に人材不足の業種に失業者を充填すれば不完全就業になる。人材不足の業種は他の業種を含めた選択肢の一つに過ぎない。失業者の選択の権利を尊重する。それによって待遇の不十分な業種はその引き上げを余儀なくされる。」
社会保障の水準を上げることで、労働者の待遇を間接的に引き上げる。こっちのほうが大切だ。」
「今や生き延びることを第一にしなければならない。」
「みんなで仲良く生きようなど、調子のいい言葉では生き延びられない。」
「生きるための方便として、生命の絶対的肯定を語らなければならない。」
「生命の絶対的肯定という観点に政治が立てば、ホームレスの路上死や派遣労働者の自殺は起こりえない。そもそも労働者がホームレスになることはない。」
「だが生命を守るため社会的資源を無条件に費消するという政治の原理について、その帰結を予測し得ないでいる。」
「それは本当に共産主義体制や生産の停滞を意味するのか。人の生命を守ろうとしてかえって今より状況が悪くなる。それはパラドクスだ。」
「そうこう話すうちに、仲間がまた一人倒れてゆく。」
「死ななくていい、と呼びかけられたときの解放感。」
「こう生命を社会的存在ごと軽視され続けると、誰かに死んでもらう必要を感じることもある。皮肉な話だがそうすることで生き延びようとする。だから赤木智弘氏の戦争待望論はそのまま理解できた。」
「本音では生命の肯定などできない。他者の生命に対して私は冷淡である。誰かの死を求めているからだ。しかし他者の生命を軽視することで自己の生命に向けられた視線に隙を与えることになる。」
「これまでの下流経験で私以外の人間は親や友人を除いて皆死んでも構わないと思うようになった。強いて言えばフリーターとニートが生き延びられればいい。そう思っていた。その考えでは隙を与えられる。私たちの生命を否定したがる者たちに対抗したければ、表向きは生命の肯定を語らなければならない。誰の命も必ず守られる。そう言わなければならない。本心はどうでもいい。」
「生命を否定される人間は生命の肯定を語ることで自らの生命を守り続ける。生存権は建前であるが政治だ。ここに主張を直結させ、生存権の政治的な保障を具体化する。もちろん派遣村非正規労働者による政治的圧力として機能した。そこで語られた生命の肯定を、ブログ界の片隅からこうして発してゆくつもりだ。戦争待望論と派遣村は決して矛盾しない。そのことを示してゆきたい。」
「私は湯浅氏の生命に対する無条件の肯定という考えには賛同を示しきれないが(かなり極端に書いたが彼は楽天家ではない。)、それを語る湯浅氏自身は大いに支持している。」
「誰かの死を求め合う状況を極限といい、求め合う必要のない社会では錯覚と見なされる。」
「頭では尊厳を擁護する振りができても、内心は死んでくれと思っていることもある。」
「生まれたからには生きなければならないし、生かさなければならない。という。」
「仲間と生きることを励まし合う。マスコミには共生を語る。本気でなく言葉だけ。視聴者は違和を感じるだろうが確認のしようもない。」
「みんなで生きようなんて、本当は都合が良すぎる。なんて口にすると自分が死にかねない。だから他者の死を探す。」
「死ぬチャンスを公平にして欲しいだけだ。誰かが一方的に殺される状況は耐えられない。」
「我われは生きたいという素朴な感情とともに、誰かが死ななければ生き延びられないという危機感を抱いている。およそゼロ年代から日本は餓鬼地獄になった。」
社会保障へのリアリティーは感じないが、死の現実感だけ増している。」
「国が傾いてゆくのを眺めるのは寂しい。せめて経済と政治は中庸であって欲しいが。」
「みんなで生きようというのは都合が良すぎる。それなら死の公平性を求めればいい。」
「みんな生きていいと言えるのは、自己犠牲を覚悟している者だけではないか。他の者を生かすために進んで命を捧げる。そこで始めて言葉が説得力をもつ。」
「死にかけている人間どおしで手を結び合うかは、政治的な判断を必要とする。それで自分たちがより死から逃れられるようなら同盟を築ける。」
「誰かが死ななければならない。だが順番は決まっていない。自分は大丈夫と思っている者にこそ優先的に分け与えたい。」
「人様のお金を頂くのは権利というより因果だ。これ以外に方法がないし、私たちが死んでいくことに精神は耐えられないだろう。口では死ねと言える。だが本当に一人ひとり死んで、それがお金を出しそびれたからと後で分かる。精神がどこまで鈍感でいられるか試してみるか、それとも因果と諦めてお金をくださるか。どういたします。」
「また命を質に社会的発言をした。状況が変わらない限りやめられない。」
「死ぬチャンスは公平に分け合わせればいい。下を眺めて死を願う者にも公平に。」
「今や、どの死が自然か、見極めることは難しい。」