はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2013年6月16日)

「まさか蜘蛛の糸で吊るわけにも行くまい。」
「ストイックな自分に酔い痴れてみたい。」
「幾つもの箱が重なり合い混乱している。」
「職業詩人の言葉のうちにではなく、旧約辺りに書いている。」
「帰ってきたとすれば、私が死にかけているからだ。」
「中途半端に目覚めた文学が私の足を引っ張っている。」
「沈黙したい時に音楽は何を奏でる。」
「被写体に拒絶された後は憂鬱になる。だからレイプものは苦手だ。」
「村社会を壊してくれるなら、韓国企業でも大歓迎だ。」
「社会はセックスを許された人とそうでない人の二種類に分かれている。容姿の優劣がコミュニケーション能力の有無にすり替えられる。容姿を能力と捉える発想の延長である。」
「性体験の格差や貧困がコミュニケーション能力の有無によって不当に片付けられている。貧困が絶対的な権利を孕んでいるにも関わらずだ。」
「“強者”も他者であるという現実を踏まえろ。」
「それは全てをかなえさせることは出来ないということだ。」
「“弱者”どうしは政治的な関係であるべきだ。」
「“同士”はごく一部に限られる。境遇の近似した者どうしでなければ連帯はありえない。同じ逆境を生きるだけでは不十分だ。」
「私は非正規労働当事者として他者や私自身を超越した人権を認識される。」
「私の実存がいま糞壺に放り込まれようとしている。」
「私がそっち側の人間であることを証明しなければならない。」
イエローカードだがレッドカードではない。」
「戦場は銃と語録のみで十分だ。」
「朝鮮系移民の排斥を試みる市民運動。」
「アフリカ系移民の排斥を試みる市民運動。」
「俺は存分に差別されたはずだ。もう許してくれと叫びたい時がある。」
「財源のない約束はいずれ破棄される。」
「『美なるもの、用あるものを毀傷残害するよりほかに能力無き人ほど憫むべく哀むべき人は復無い』(幸田露伴『努力論』)」
「ニュースやイベントがある度にスレの流れが気になる。重症だ。2ちゃんねる断ちに少し成功していたが、仕事の(むしろフリーターという立場による)ストレスが酷くなり気を紛らわせたいのだろう。」
「言葉の暴力を表面的には伴わないが、価値の暴力、存在への暴力がある。」
「他人の意見を求めるというよりは、同じことを考えている人がいることに安心感を求めようとするのだ。」
「生の絶対的肯定の延長として貧困を捉えることには正直なところ違和感がある。絶対的な権利は他者に絶対的な義務を要求するからだ。」
「本当の高級店にすれば水は話題にすらならない。テレビで有名になろうと、最終的にはこういった足で稼ぐ人の評価こそがブームを超える。どれだけ多くの客が訪れようとも、立ち位置が安ければ本物にはなれない。」
「本物の金属は磨けば光る。しかしメッキは剥がれるものだ。テレビが与える知名度は人物を成長させるチャンスともなりうるが、反論を許さない虚像をも作り出す。(テレビが作る美談や美化のいかに信じられないことか。)」
「同一人格における差別と被差別の両相を相殺しようとする社会秩序の愛好者達。」
被差別部落民の朝鮮人差別、障碍者女性差別を告発する輩の立ち位置を注視しろ。」
「フリーター差別の本質は情報からの疎外だ。」
「フリーターとして十年間差別されてきた。これが死ぬまで続くのかと思うと欝になる。」
「父親は父親だった。(近親相姦)」
「人権ババ抜き」
「国策介護の犠牲者」
「ギリギリのキリギリス」
「友達の彼女をおかずにする。」
「つまらないことにカネを費やす。」
「ガガガ、ボクワリアリズムノタビビトダヨ。」

「怒りを共有することはひとつの正義の仕方ではあるが、他人の人生を生きては自分の人生が無意味になる。」
「俗人は聖人振ってはならない。特に競争の敗者が共生を語るのは欲望の表明であり、偽善でしかない。」
「真のマザーテレサは真に解脱した者にしかなれない。しかも聖人は神を試さない。」
「無関心は俗人のれっきとした処世術である。“美しい”俗人など有害である。」
「差別されたからといって売国奴になっていいという理屈はない。」
「せめて能力のある者は生きさせろ。ひとつの集団を丸ごと絶滅させるのはいくら何でも暴挙が過ぎる。」
「弱者を美化することで自らの政治化を企む。批判を許さない存在はすでに権力である。」
「我々は真空に放り込まれようとしている。」
国際会計基準の導入がまた先延ばしになった。こうして日本のゴミ掃除が遅れてゆく。」
「日本企業の純血主義には辟易させられる。弁護士でさえ雇わない。社会人になり損ねた人間は尚更だ。」
「“支援者”の目が見世物小屋に来た奴らのように笑っている。」
「『歴史とは、歴史を作った側のものでございます。殿下がお作りになった歴史です。』『血に染まった歴史を歴史と言えるのか?』『時に血を流さねば、偉業は成し遂げられぬのです。』(ハン・ミョンフェと世祖『王と妃』より)」
「被差別者としての差別者の解放を含まない告発は時に差別そのものより深い暴力性を孕む。告発者はまさに見世物小屋の客である。」
「福祉を充実させたら英国病になるのは分かり切っている。」
「テレビという暴力を解放のために利用しよう試みる市民運動。」
「企業は男性労働力の代替として女性の労働力を求め、今度は外国人を求めようとしている。不思議なことに、国内のフリーターをあえて忌避しているのだ。確かにこれには何かがある。そしてここにロスジェネとしての怒りの根源があり、打倒されるべき敵がいる。」
法科大学院構想が実質的に失敗した要因は企業が卒業生を社員として雇い入れなかったからだ。たとえ司法試験に合格したとしても、企業は新卒でない彼らを迎えようとはせず、かえって子飼いの社員に司法試験を受けさせようとさえした。日本の企業は村社会の発想が現在でも続いており、余所者を受け入れるという、真の意味での能力主義が採られていない。」
「村社会は構成員の私的団体であり、公共性とは異質の観念により統合されている。」
「私は、自らが乞食に過ぎないという屈辱的な認識を受け入れざるを得ない瀬戸際に立っている。」
「フリーターとして社会から疎外されてきた。しかし私は何をもって抗ってきたのだ。社会のあり方を批判するだけでは不十分だ。社会の矛盾と全力で戦ってきたか。私は単に引きこもっていただけではないか。」
「戦うということはスローガンに酔いしれることではない。まして助けにならない相手と“連帯”することではない。」
「『例えば、40歳になったら自分がそれまで取り組んできた仕事の内容を再点検し、さらに専門性を高めていく。「会社にとって都合の良い社員」には、実は労働市場でそれほど需要はない。代替のきくゼネラリストより、特定の分野に秀でたスペシャリストを目指した方が、人材として求められる可能性が高い。』(読売新聞13日付『Nippon蘇れ 私の処方箋』より。高平ゆかり・マイスター60事業本部長)」
「フリーターを取り囲んでいるのは暴力的なまでの情報の無さだ。(本当に必要な情報はウェブでは手に入らない。いらない情報だけがやたら手に入り頭を混乱させる。)しかし労働力としての商品価値を高めようとしなかったことも事実だ。」