はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

(引用メモ)韓国時代劇「王と妃」他より(2014年2月8日)

「『王と妃』はこれで四巡目になる。最初はBS日テレで二巡して(11年・12年)、次はサンテレビ(13年)。今年はDVDを買った。韓流ドラマの中ではマイナーな作品になるが、脚本が深いから飽きないのだ。」
「本作品には韓流ドラマの特徴であるファンタジー要素は微塵も存在しない。朝鮮王朝実録をほぼ唯一の典拠とし、そこに脚本家チョン・ハヨン氏の深い洞察が加えられている。」
「作品自体は大河ドラマを銘打ってはいるが、低予算で作られたであろうという感じが漂っている。しかしそれが却って脚本の力を浮かび上がらせているのだ。カネをかけなくてもいいドラマは作れるという見本だ。」

「王と妃」第11話より

キム・ジョンソ:首陽大君はそこまで軽はずみな人間ではない。慎重な人間が軽率な真似をしたのだ。安易に判断できる一件ではないだろう。
愛妾:いくら大魚でも、水を得られねば大海原にたどり着けません。

「王と妃」第11話より

ハン・ミョンフェ:イ・ヒョルロの画策にそなたの主人がはめられて心配なのだろう。だがそれは取り越し苦労だ。首陽大君という方は、野心に溢れているからな。
クォン・ラム:それは勘違いだ。首陽大君は・・・
ハン:世宗に続いて先王の時代でも王の補欠だった。補欠という立場は針のむしろだ。利口に見えすぎれば抹殺される。愚かすぎれば、ないがしろにされてろくな扱いも受けない。そして、首陽大君はその地位を三十年近く守ってこられた。それが今はどんな立場だと思う?進むに進めず後ろにも引けない。抜き差しならぬ立場におられるのだ。
クォン:ではなぜイ・ヒョルロの企みに応じた?
ハン:二つの思惑があったはずだ。イをこらしめれば、自分の存在を世間に誇示できる。そして朝廷でこの件を論争させ分裂させることもできる。キム・ジョンソは和解を求めた。大君は断る名分がなかった。だからキムと手を組んだ。だが任せてもらえたのは先王の墓作りくらいだ。今世間は首陽大君の話題でもちきりだ。死んだ人間が立ち上がったように、首陽大君はよみがえったのだ。これは魚が水を得たようなものだ。

「王と妃」第8話より

桃源君夫人ハン氏:女の一生は夫次第だと教わりました。女は水と同じです。入る器によって形が変わる。夫という器がなければ土に染み込んでしまったり、川の水となって流れてしまうのです。私は、陰となり日向となり、夫を支えなさいと。悔しい思いをしても耐えなさいと。そしてどんな時も夫に尽くせと教わりました。
桃源君:何が言いたいのだ。
ハン氏:ご自分の人生をどう送ろうとお考えですか?王族ともなれば食べ物や着る物や住むところの心配は必要ないのでしょう。
桃源君:よい人生ではないか。
ハン氏:それでは動物と同じです。
桃源君:何を言いだすのだ。
ハン氏:人は生まれていずれは死ぬもの。だから人生は大切です。平凡な人生で満足なさる気ですか?
桃源君:そなたは分かっていない。王族は官職には就けないし、なまじ聡明だと周りにつぶされる。だから身をかがめて生きるのだ。
ハン氏:“雨垂れ石を穿つ”と言います。強い意志さえあれば、望みは叶えられるのです。弱気になってはいけません。お義父様は天下の首陽大君ではありませんか。皆お義父様を王の器だと言います。王になる資質が十分おありになると。
桃源君:言葉を慎むのだ。
ハン氏:つまりあなたも王になる可能性が――
桃源君:夫人!
ハン氏:好機が訪れなくとも大志は抱くべきです。それが実現しなくともいい。器の大きな人間になるには大志を抱いていなくては。

「王と妃」第8話より

恵嬪ヤン氏:本心ではどうか分からないわ。うわべだけの敬意でしょう。だけど構わないわ。私に屈したのだからそれでいい。
オム・ジャチ:その通りです。臣下は心から屈したりはしないものです。表面だけでも相手が屈すればそれが権力。これで恵嬪様も権力を手にしました。

「王と妃」第8話より

ナレーション:宦官オム・ジャチ。宦官の頂点を極め文宗の寵愛を受けた。のちに首陽大君に仕え政権奪取を助けたが、結局は首陽大君の暗殺を企てた。彼をどう見るべきだろうか。

韓国時代劇「トンイ」より

チャン・オクチョン:正直者の成功は難しいが、正直を装う者の成功は早い。

韓国時代劇「テジョヨン」より

イ・ヘゴ:興奮すると隙がでる。そなたは自分自身にも勝てておらん。

「王と妃」第5話より

ナレーション:安平大君については説明が難しい。彼は相反する二つの評価を受けた人物だった。安平大君は非常に政治的で野心家だったと言う者もいた。だが逆に、穏やかで人間的だったという声も同じように聞かれていた。恐らく安平大君のこのような両面性が野心家たちを引きつけたのだろう。だが、その両面性によりしばしば決断力を欠き、自らを破滅の道へと導いたのだった。

「王と妃」第6話より

イ・ヒョルロ:なぜ集賢殿に人がいないのだ?
シン・スクチュ:世間が騒がしいからだ。
イ:こんな時こそ精進するのが学者の務めではないのか。

「王と妃」第6話より

首陽大君:太宗がチョン・ドジョンを殺したのは国のためを思ってです。王権を欲したからではありません。チョン・ドジョンの唱えた臣権主義とは君主の横暴と権力の集中を防ぐこと。しかし同時に支配階級を増やすものです。現実をご覧ください。役人は禄とともに田畑をもらいます。その地は代々受け継がれるゆえ、役人に与える田畑はいつか底をつきます。民の耕作地がありません。しかも税と労役の二重負担で民の苦労は並大抵ではありません。民を楽にするには王室を強くしなければ。王室が弱いと官僚が増長します。高麗が滅んだ原因もそこにあります。王室は民と向き合うべきです。国の力はそこから生まれます。

「王と妃」第6話より

シン・スクチュ:弱者が正義を訴えても強者が得するだけだ。貫き通せない正義には価値がない。改革を起こすのは政治家だが、改革の火をともすのは学者達の胸にある怒りだ。ゆえに世宗大王は、混迷期にも揺れぬ道標になれとおっしゃったのだ。
イ・ヒョルロ:そなたが世間から優柔不断だと言われる理由が分かった。政治家が真剣に改革するか?改革なんぞは自分の欲を隠すための偽善だ。なぜ奴らが世の中を変える?利益を得たいからだ。

「王と妃」第12話より

首陽大君:私はクォン・ラムに、どうすべきか尋ねたことがある。クォン・ラムはこう答えた。もっと下手に出よと。私はどうすればよい?
ハン・ミョンフェ:寺の中で殺生を論ぜよとおっしゃるのですか。
首陽:今、何と?
ハン:寺の中で殺生を論じさせるつもりかと申し上げたのでございます。
首陽:南無観世音菩薩。
ハン:権力は強者のものです。弱者が権力を握ると、大勢が血を流します。力のある者が権力を握ってこそ、殺生を避けられるのです。
まずキム・ジョンソについてです。キムは公平無私な人で信義を何よりも重んじます。一度信頼すれば疑わず、一度決めた道は突き進みます。それゆえ世宗大王はキム・ジョンソを信頼し、病弱だった先王様を補佐させたのです。一方、権力者というものは、信義より裏切りを、信頼より利益を優先し、行き詰まれば逃げ道を探すのが常です。それゆえキムは乱世の英傑とはなれません。自らは何もできぬ男です。忠臣として後世に称えられはしても、謀反は企てぬでしょう。
次に安平大君ですが、世間では安平大君のことを当代一の風流人と呼んでおります。風流とは酸いも甘いも噛み分けた者が人生のむなしさを悟り、解脱の境地に達して初めて会得できる精神世界なのです。遊びと風流とは異なります。詩歌をたしなむだけでは風流とは言えません。まして通を気取り道楽にふける者を当代一の風流人と言えましょうか。舌を肥やし、木綿や麻の着物よりなめらかでつややかな絹の着物を好む、苦労を避け楽しみを追求する。そのような者に乱世は救えません。
最後に大君様です。大君様は時機をわきまえておられます。好機には自ら道を開きます。また事を急がぬゆえ、行き詰まった時は休むでしょう。そして堪え忍ぶことをご存じゆえ、気が熟さぬ限り前に進まぬはず。人によってはこう見るでしょう。大君様が剣の刃先を握りキムが柄の部分を握っていると。ですが刃先を握っているのはキムの方です。
首陽:クォン・ラムはこうも言った。天下を取りたければ次の二つを手に入れろと。一つは名分であり、もう一つは天の与える好機だ。私はその二つを手に入れられるか?
ハン:名分は作れますが、天の意は人力の及ばぬもの。ですが私の力さえあれば大君様は好機を掴めます。
首陽:それでは私の参謀になってくれぬか。
ハン:項羽は秦を滅ぼし、秦の兵数十万を生き埋めにしました。一方劉邦が殺したのは建国功臣のみ。殺した人数を比べると項羽の方がはるかに多い。ですが、名もなき数十万の兵の命と建国功臣の命とではその重みが違います。大君様は劉邦にはなりませんね?
首陽:謀反を企てる者やその一味に力を貸さぬ限り、そなたと私は運命をともにするのだ。

「王と妃」第12話より

首陽大君:イ・ヒョルロは奸悪で無礼な者ですが、個人的な感情で彼を罰したのではありません。かつてイは汚職を働き、風水と称し巧みな言葉で民心を惑わしました。そこで集賢殿の学士らが彼を糾弾し死刑に処しようとしたのですが、赦免されたのです。ところが近頃、“宮殿を白岳山の前に建立したせいで長男は衰え、次男以下が栄える。次男以下の太宗と世宗が王になり、先王様は長男ゆえ早世した”と言ったため、私がそれを罰したのです。殿下。聞けば安平の誕生日の席にキム・ヨンら内官数人が出席したそうです。また三十人余りの官僚も出席していて、イが束ね役だったとか。殿下に仕える内官が王族の一人と懇意にしたり、官僚が王族の家を訪ねるなど言語道断。さらに彼らを安平の誕生日に呼んだのはイ・ヒョルロだったのです。
殿下。謹んで申し上げます。イ・ヒョルロを罰したのは、あの者が安平の家に出入りし王室の和を乱したためです。また安平がイの口車に乗せられ、愚かな真似をせぬか憂慮したためです。イは国の役人ではありますが、実際は安平の家僕です。ですが殿下、私は殿下のご許可も得ず殿下の臣下を鞭打ちました。これは許されざる罪です。どうか私を罰してください。

「王と妃」第12話より 首陽大君:殿下の代わりに私が悪役になったのです。

シン・スクチュ:どういう意味ですか?
首陽:朝鮮が建国されてたかだか六十年余りです。すべてにおいて磐石とは言えません。世宗は嫡男継承の原則を立てられました。隙あらば手段を選ばず王座を狙う者たちを警戒するためです。私には兄弟が五人もいます。皆、心の中では一度くらい王座に着く己の姿を想像したことがあるはずです。現に私もそうでした。兄上が床に伏しておられると、もしや世子の座が私に回ってくるのではと妄想したものです。今もそうです。まだ殿下は幼少です。将来、自ら国政を執り行うようになるまでに、誰かがゆゆしき事態を起こしたら?
シン:それは大君様の取り越し苦労です。
首陽:いいえ、心配してもし過ぎることはないと思います。宮殿に来る度に私は康寧殿を見上げます。知らぬうちに権力欲が頭をもたげるのです。王になれるのなら・・・
シン:大君!
首陽:その度に、父上や兄上が思い浮かびます。幼い甥のことも浮かびます。イ・ヒョルロは安平の欲望を焚き付けています。私があの者を鞭打ったのは、安平に警告するためだったのです。