はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

赤木智弘氏は、その言説はともかくも

私よりもはるかに生きている感じがする。
彼の戦争待望論についてはとくに反論も賛成もしない。
日本から仕掛ける戦争というものがまず現実味に乏しい今日の状況下では中国など仮想敵国からの戦争を望むということになろうが、まさか著者がそんなことまでを望んでいるとは考えられないからだ。
しかし戦争の願望をたとえ二次元的なものとしてさえも抱きうるほどに著者が将来の自分の行き所を考えているその必死さに、私は自省させられた。
将来については何も考えないということが不安にならないためのコツであり、何も考えずに馬鹿として生きたほうが比べるべき人間を知らずに済むだけあるいは幸せかも知れないと本能的に思ってきた私は、いつの間にか半死人と化していたのかもしれない。
赤木氏の著書「若者を見殺しにする国」を読んで彼の将来の暮らしへのリアリズムを、その戦争待望論はともかく学ばなければならないと率直に思った。
(日本からの戦争は彼がそれによって巻き込もうとしている正規雇用労働者の大半の支持が必要である。中国からの戦争については藤原惺窩という前例がある以上著者が内心では欲していないとも限らない。そうでないことを祈りたいが。)