はるのぶのつれづれ

幼女の子宮で泳いでいた頃の記憶

ひとりごとならべ(2009年8月 その2)

「生きるということは、実は孤独なことではないのか。」
「人は一人で生きるものだと、どこかで思っていたほうがいい。」
「生き方を共感できる者がどこかに居るだろう。彼らと何かをする訳でもないが、何かを話すときは、彼らに話しているような気がする。」
「極端な話だが、私の他には誰も居ないと思っていいくらいだ。」
「地獄を見つめるためには、いちど一人にならなければならない。」
「苦しさというものはなかなか表現しづらいものだ。それは向こうさんも同じだ。」
「スローガンを唱える奴は、必ずどこかに穴がある。」
「幻想や夢想や写像を取り払ったとき、残るのは私ひとりだけだ。」
「生き方を共感できる者がいるということは、明るさといえば明るさだ。」
「一人で生きるというのは、なにも一人ぼっちという意味ではない。」
「一人で生きるというのは、誰もいない世界を生きていけるかどうかということだ。」
「存在がぼんやりしていようが、私はここにいる。」
「いっそ、誰にも知られずに生きたほうがいいかも知れんね。」
ルサンチマンを知らない。写像も知らない。だからマクロしか見えない奴が政治をやったら、とんだ光景が見られる。権力で作ったユートピアが。」
「時間への飢餓感が続けば、本物の浪人になれる。」
「まれではあるが、自分のロリコンっぷりにあきれることがある。」
「言葉を写像から解き放つことが大切かも知れない。」
「下手な新書よりも2ちゃんねるのほうが、よほど論点が詰まっていることがある。」
「人との比較は無間地獄だ。比較地獄に写像地獄。固定化地獄に生活地獄。」
「人と比べたがる癖は、すでに病気の域に達している。どうせ恨むなら、リア充を憎んだほうが健全だ。」
「一人で生きるほうが救いがある。」
「無視というのは、現在と同じことをこれからも続けるという無言の手続である。」
「同情されるだけでは何も動かない。フリーター。」
「私の経験では、アイデンティティーは三年で固まる。だからフリーターがいやなら、三年以内に職を見つけることだ。フリーターのアイデンティティーをもつと、ずっとフリーターであり続けてもどこか平気になってしまう。もちろん、今さら動いてもどうにもならないという、絶望の状態があるから動かないのだが。」
「手前が社会を変えるなんて、うぬぼれてんじゃねえ。地道な営みこそが止揚を生み出すのだ。」
「雇用の調整弁ですか。もう引き回しはこりごりですよ。」
「他人の苦しみを指摘することはできるが、その内容は本人にしか示せない。どのような写像をみているのか、本人にしか分からない。」
「“苦しんでいるという人間”が優先される政治では、他人の苦しみの表明が、こちらの苦しみの要因となる。マスコミはこれを平気で行なう。」
「停滞すると、どうしても他人のことが気になってしまう。」
「自分が手を引こうなんてのは、ただのうぬぼれだ。あとで悔いが待っている。」
「人のことがだんだん気になる比較地獄さ。」
「馬鹿のほうが可愛げがある。本物の馬鹿なら、むしろ尊敬できる。馬鹿は救いを知っている。」
「人と比べるのに疲れた。比べて、比べて、比べきっても何も残らなかった。」
「目立たないと駄目なようで、だから悪名でも欲しくなるのだ。」
「人のことばかり考えてきて、すっかり生きることができなくなりました。頭でっかちになって、人の言葉が聞けなくなりました。」
「私のアイデンティティーは、最初に私。と思ったほうが、情報に惑わされなくなる。」
「最近よく、首つり用の輪っかが見えるんだが、あれを見るたびに首をふって自分をせき立てている。」
「生きるために、何かを言い続けなければならない言いっぱなし地獄。ものを言うまえに主体性を明らかにしなければならない存在地獄。」
「他者の言葉が自らの不存在性を刺激している。体のなかに穴を開けられているような感覚。だが言っているほうも苦しいから何かを言っているのだろう。」
「もう、絞首台が目のまえにあるようです。」
「ライン作業を思い出して勉強する。家にいるとどうも自由時間を取りたがって仕方がない。秒ぎめの作業生活の反動だろうか。」
「私は死んだものと思え。死んでいるのだから、社会の有象無象は関わりがない。無化だ。」
「プライドは無化を妨げる。」
「無化というのは、もちろん人の言いなりになることではない。むしろ頭でっかちにならないために必要なのだ。」
「持たざる者は、魂が敏感になりすぎて困る。」
「人は希望がなければ愚鈍になるが、むりやり希望を作りだすこともある。」
「自殺の“じ”と言いかけて口をつぐんだ。」
「生きることに貪欲にならなければならない。そのためには生活保護をいとわないことだ。」